弟子のSです

武術の稽古日誌

汝の敵を愛せよ

(前回の記事から)「何を」なぜ全身全霊でやらないのかとたしなめられていたかというと、師の法(思想)を継ぐという弟子の務めのこと。自分の立場がわかっているかというのだ。先日の柔術のおじさんを例にとっても、どこどこの道場で稽古していますというのはその道場主の名代を名乗るのと同じこと(よしんば技術は未熟であったとしても、その思想において)。今のあなたにそれが務まるか。務まらないことにもっと焦るべきではないのか。 私の修業の進捗を妨げるものは、ちょくちょく書くけど「保身」に走る心である。 最近師に言われた言葉でもっとも目からウロコだったのは、友好的関係にある人は他者とは呼ばない、というもの。私は、本当にありがたいことに、私を肯定してくれる身内や友人知人に恵まれているが、時折それを逃げ道にして、師に怒られた時など「先生はそうやって私を否定するけど、この私を肯定してくれる人だっているんです」とか言って火に油を注ぐことになる。そこの葛藤に先日すんなり決着がついた。 自分を肯定してくれる人は「自分」の領域内の人であり「他者」ではない。 (武術は)自分が相手に合わすものであり、他者に通じないと意味が無い・・自分は人に合わせなくて良い、と思ってしまうと、その人は自分に合わせてくれる人とだけ関係性を結ぶようになり、そういう関係性に固執して世界を閉じてしまう。それは武術と真逆の方向の傾向を作ってしまう。武術は敵に対して理解を行うのだから。 武術は他者、とりわけ敵対的他者に対して理解を行うもの。 本気で聞くのは褒め言葉よりも否定的意見だと荒木飛呂彦も言っている。「褒められて伸びるのは子どもだけ」。