弟子のSです

武術の稽古日誌

無策でいない

武術が感情を律しようとするのは、感情に囚われるのが自分の自由を脅かすからだ。「私はなにものからも自由だ」という時、自分からも自由であることが当然含まれるが、つくづく思うに、自由を脅かす最大の敵は自分自身である。

自分がいつも自分を正しい方向に運んでくれればいいが、師のツイートにもあるように、自分は自分に感情移入しているからどうしても客観的になれない。感情移入した自分を守ろうとすることは保身であり、自由から遠ざかるのであり、生きてて死んでるのと同じだ。武術は保身を捨てて相手に寄り添えと教える。捨己従人である。武術的なものは自分を成長させるし、なにより美しい。

保身しようとする自分に対して無策でいないこと。はっきり言って、武術するというのはこれはもう、私にとっては自分との戦いなのだ。敵は自分、そう腹をくくらないと私のようなものは始まらない。それは未来の自分のためであり、究極的にはすごく大きなエゴである。組手という稽古で鍛えようとするのもそこなのだと思う。もっと愛せよ、という。