弟子のSです

武術の稽古日誌

♪日々ネクストレベルを研究中〜

地球には引力がある、というのと同じ調子で「私とあなたは同じです」と師は仰る。師と私。体も命も別で、属性も体質も趣味嗜好もブログを書く速度も全然違う。どうしたって差異のある別の個体じゃないか、と思うけど・・・。

あなたがそう認識するのと実相がそうなのかは関係がない。

それがまさに対立を作っているのは自分であるということでしょう?

対立とは妄想で、人の頭の中にだけあるもの。たとえば次のようなものだという。

・「私」と「あなた」という分裂。

・「私」と「あなた」が一つになるという考えがそもそも、1と2は違うという数の概念が生み出した妄想。

・「私」と「あなた」が対して話すという対話も分裂。

・何かを理解しようと努めることも、努力しないと理解できないものとして問われる対象と問う自分とを対立させていること。

こうして頭をひねっていること自体が対立なのか・・・・。

たとえば心中する二人が離れ離れにならないよう縄かなんかで体を結んで入水する、みたいな話があるけれど、それって、それこそ縄が「二人が別々であること」の象徴のようで、そんなものに頼ったって死ぬときは別々に苦しいだろうし、そんな安直なことだから何やっても寂しいんだよと思う。そうじゃないだろう。同じものは離れようがないもの。分裂しているのは体じゃないんだ。

・・・だからと言って、どうすれば。

甕から水を移すのに器がするべきことは器であるだけです。

わかろうとするのをやめて猫目線で町に出てみましょう

https://www.youtube.com/watch?v=P0islb4IRDY