弟子のSです

武術の稽古日誌

中島敦『弟子』より

子路は、孔子のお弟子さん。  弟子の中で、子路ほど孔子に叱られる者はない。子路ほど遠慮なく師に反問する者もない。 「請う。古の道を釈(す)てて由(子路)の意を行なわん。可ならんか。」などと、叱られるに決まっていることを聞いてみたり、孔子に面と向かってずけずけと「是ある哉。子の迂なるや!」などと言ってのける人間はほかに誰もいない。それでいて、また、子路ほど全身的に孔子によりかかっている者もないのである。どしどし問い返すのは、心から納得できないものを表面だけ諾うことのできぬ性分だからだ。 そういう人なのですが、  だが、これほどの師にもなお触れることを許さぬ胸中の奥所がある。ここばかりは譲れないというぎりぎり結著のところが。  すなわち、子路にとって、この世に一つの大事なものがある。そのものの前には死生も論ずるに足りず、いわんや、区々たる利害のごとき、問題にはならない。侠といえばやや軽すぎる。信といい義というと、どうも道学者流で自由な躍動の気に欠ける憾みがある。そんな名前はどうでもいい。子路にとって、それは快感の一種のようなものである。とにかく、それの感じられることが善きことであり、それの伴わないものが悪しきことだ。きわめてはっきりしていて、いまだかつてこれに疑いを感じたことがない。 子路にとっての「この世に一つの大事なもの」が私の胸中の奥所にもあります。誰にも、師にも、自分にも立ち入れない不可侵の場所。それが「すなわち、子路にとって・・」以降です。師に質問をするのがいつも結構な一大事なのは、私の中の譲れないそれと武術とがどこか「対決」の色を帯びているからだと思います。でも私がそう思っているだけで、二つは対立していないのかもしれません。どころか最近思うのは、もしかしたら同じものかもしれないということです。 対偶が相反しないというパラドックスのような太極拳の考え方や、梵我一如とか同事不違など、師の言われる東洋の概念が今の私にはどうにもピンと来ません。強い師弟愛にもかかわらず、子路孔子の教えを40年受けてなお溝を残したままでした。しかしそれでも教えに惹かれる。それは何かとても、自分にとってよい知らせな気がする。私の師は次のように言います。 人間は自覚している部分は氷山の頭の部分で水面下の部分の方が大きい。むしろまだ見えてない可能性の部分こそが本体である。 私は私をまだ知らない。これが希望でなくて何でしょう。