弟子のSです

武術の稽古日誌

昨夜のお稽古

中野CMBトレーニングセンターで夜稽古3時間。このところ合気道の有段者が相次いで出稽古にいらっしゃり、師の武術から発見があったと仰って帰る。なんでかなと疑問だったが、師のブログにヒントが書いてあった。

・・映画『ベストキッド(旧)』で、ダニエル少年がペンキ塗り、ワックス掛けをずっとやらされたのも、「ペンキを塗るときのあの感じ」と「ワックスをかけるときのあの感じ」を共通言語として使うためでした。

今の(白桃)会の稽古ではこうしたニュアンスを伝えるためのボディワークが主になってきています。太極拳自体がこうしたボディワークの集大成なのもあるし、ニュアンスが伝わらないで技の形を練習すると害のほうが大きい場合があるからです。相撲などはその極で、四股、鉄砲、すり足、股割りなどはしますが、個別に投げを型として練習するという発想はありません。力士の体を作るワークをしていれば技は自然と生まれてくるという考えです。

・・そういう部分では、合気道などは日本武道として最後に出来たもの、最新のものなので、実は非常に難しいものです。成立当初は「横面打ち、正面打ちは剣術のあの感じで」「手首取りは柔術のあの感じで」といったニュアンスの共有がありました。しかし、現代では剣術のニュアンスと柔術のニュアンスは基礎教養にないので、いきなりそこからはじめた人は体も出来ていないしニュアンスもわからない場合が多い。なのに練習の主体がいきなり技の稽古から始まる。数学をやったことがないのにいきなり物理学の授業で黒板に数式を書かれて、これをやってくださいと言われるような難しさです。

ふむふむ。

今夜出稽古に来られたのは「たこ焼き屋のNさん」。PVを見て、最近の先生は練度がすごいっすと仰る。そうなんだぁ・・って私が感心していてはいけないが、わかる人には違いがわかるのだなあ。それにしても、私みたいなのを弟子にして、子供を教えるのに多くの時間を割いて、プライベートでは呑み食いしているだけのようだし、それで技が練れるというのはやはり不思議に思える。師に伺えば、そうした時間が自分にとっての稽古だから別に不思議はないと仰るだろうが。

「(相手との接触点で)なじみをつくる」「陰の力」など、白桃会のいつもの稽古。私個人のことでは、発勁の際に肩が上がっていると師にもNさんにもS井さんにも指摘される。力んでいる。硬い。修正するため拳立て、前受身。

稽古後のNさんの、師への感想「柔らかいの反対は剛い(つよい)だと思ってましたけど、柔らかいの反対は硬いだったんですね」。

師からしか習っていない私には「柔らかくない=ダメ!」という頭しかないので、上級者がその点を新鮮と感じるのが却って印象的だった。しかしたとえば私がただ柔らかければいいかというとそんな筈はなく、やはり剛を伴ってこその柔であろう。師いわく「壊せる者にしか直せない」。

遠方にお住まいのNさんは終わるが早いか帰ってしまわれ、ろくに話す時間もなかったが、稽古で大体の人となりは伝わってくる(し、私のそれも伝わっているはず)。以武会友、ご一緒できてうれしく思った。道着の擦り切れ具合や所作にふだんの稽古ぶりがしのばれる方であった。

休憩なしで3時間ぶっ続けで稽古して、帰宅したらやはり疲れていたのか、部活始めたての中学生の如くおフロでぐーすかぴーと寝てしまう。溺れなくてよかった。