弟子のSです

武術の稽古日誌

11月6日付の「今日のお稽古」を読む前に〜あらすじ〜

リアル大牛くん功夫に感銘を受けたSは積年の課題である「片足立ち」を本気でやっつけようと心に決めた。バランス感覚を研ぎ澄まそうと鼻息を荒くしていると、片足立ちは感覚ではなく理合いでやるものだと師からコメントが。バランス感覚がゼロでもできるやり方をする。身体を客体として操縦する。それは日常の感覚の延長にはない話だという。コメントはこう結ばれていた「上下の連動、手の親指と足のつながりがあるかないかだけです」。 たとえばふらつきがちな型の一つに金鶏独立や左右分脚というものがあって、それは同側の手足を糸で吊ったマリオネットのように上げるのだが、それがうまくいかないのは「足を」上げたり「足で」蹴るからだという。手が足を吊って(持ち上げて)いるのだからこれは手技であって、バランス感覚がどうこうでなく、手で足を持ち上げて放すだけ。したがって動作においてはあきらかに手で足を持っている感覚がゆるぎなく厳然とあるはずだと。 (左右分脚の)十字手の離れの際に上の手の重さが限界に達して落下する感覚はありますか? 明確に腕が足一本分重くなってますか? 本当に下から補助して支えなければ持ち上がらないものというほど足をモノとして重さを感じていますか? 片足立ちが手技である以上、たとえ話でも「つもり」でもなく、手が足の「物理的な」重さをガチで感じていなければおかしい。帯を使ったりズボンのすそを掴んで、手で実際に同側の足を持ち上げるという稽古をしてきたのはそのためだ。それだと当然ながら足の重さが手にかかるからだ。 しかし手足の離れている実際の型においては、私は足の物理的な重みを手に感じることはできていない。「それはパントマイムで鞄を持った時に、実際に鞄の重さを感じているかということですね」と言う私に、師は「私の言うことに比喩やイメージやパントマイムは一切ありません」と答えられた。 こうして、片足立ち問題は新たな認識の地平に私を連れて行くのだった。つづく。