弟子のSです

武術の稽古日誌

昨日のメモ

前回の記事で、自分の動きの硬いことについて

師のやわらかーい動きを完全にイメージして動いているのに、どこが違うのだろう?

と書いたが、昨日の中野の稽古で、どこだと思いますか? と師に訊かれた。太極拳でいう捨己従人ができていないからだと思いますと答えると、師は、ちがう、と言われた。やわらかさも捨己従人も途中の手順だ。あなたは順序を追った直線的な理解しかできない人だから手順を真似ようとするが、何かをするにはまず「それが何なのか」「何のためにするのか」という最終的な部分の理解が必要で、その上でするのでなければとんちんかんなことになるばかりだ。やわらかく動けるのは、やわらかく動かなければならないからです。

師「なぜやわらかく動かなければならないか。それは相手を傷つけないためです」

私「倒そうとする相手を傷つけないためですか?」

師「そうです。何を今頃言っている。あなたはそれを学んできたのではなかったのか」

私「でも稽古なら別ですが、本当に倒そうとする相手なら傷つけなければならないのでは?」

師「傷つけなければ倒れない。あなたのその間違った考えが、あなたの組手にも動きにも表れている」

子供空手の生徒が師に言ったという「先生が一番強いのに先生との組手が一番やりやすい」は、私を含むおそらく全生徒が抱く感慨であるはずだが、相手を傷つけない・やわらかく・優しくするというのは、強いからできることなのだ。逆説的に言えば、相手を傷つけないように扱える者はその相手を殲滅できる。整体師に柔道の素養が求められるように、「壊せる者にしか直せない」のだから。

何をするための稽古なのか、それをまず聞いて理解すること。

私の稽古態度には問題があって、それは喩えれば「これは繊細なガラスの壺なので大事に運ぶように」と命じられたそばから「はい!」と勢いよく運んでガシャンと乱暴に置いて割る、みたいなものだという。だから「なぜ人の話を聞かないのか、舐めてんのか」となる。

「話を聞いて、気をつけていて過失で割るならともかく、話を聞いていなくて割るのは論外です。その違いはこちらにはわかる」

言葉はいいから、変わったのなら変わったところを見せてくれと言われたので、次の稽古から修正していく。

いいことも記録しておこう。昨日二度目の棒手裏剣をやったが、前回より俄然上達した。三種の投げ方(フォアハンド上から・フォアハンド下から・バックハンド上から)でほぼ100パーセント刺すことができた。Rさん読んでますか。何が起きたのか自分でもわからない。師の仰るには説明を聞く態度が良く、コツを掴んだからだという。私としては、昨日はひじょうに無心でやれた。失敗するのは残り1投を決めようとか色気を出す時だった。くのいちくのいち。