弟子のSです

武術の稽古日誌

稽古メモ

先週の金曜稽古でも「我をなくして相手に合わせる」稽古をした。合わせると言っても突きや蹴りの手足に合わせるのではなく、それ以前の(突くぞ)(蹴るぞ)という相手の気配、気に合わせるのだ。合気だ。合わせて、相手のしたいように促し、自然な方向に一緒に流れていく。

我はいくらでも譲り、場の主導権は譲らない。自立していることが大事だと思う。

「我をなくして相手に合わせる」つまり捨己従人だが、型稽古でも推手でも組手でも、また道場を離れた日常生活でも、太極拳するかぎりその原則は変わらない。組手ではぶつかるのが特に目立つが、それは我がなくせていないからだ。関節抜きの稽古を繰り返すと、痛くない方向はその時々で変わったりしないので、抜け方にパターンがあるのがわかってくる。同様に、我をなくすというのも「業の深さを恥じて克己する」とかでなく「我を抜くパターンを身につける」という、ごくテクニカルな対処を待つ問題なんじゃないかって気がする。

近況。私は以前、三十七式太極拳の型名を列挙したイラスト入りのプリントを手作りして太極拳教室で配っていたのだが、重宝してくださっている方もいるようで、目を通しながら道場に入ってこられる姿など見かけると、あらありがたい、うれしいなあと思う。

先日は熱心な生徒さんに自主練につきあっていただけませんかとお誘いを受けた。自主練のお誘いは以前別の方にされて、なにかと余裕なくお断りしてしまったことがある。今なら少しは相手のためにできることもあるかと、ありがたく提案に乗ることにした。套路のおさらいや推手をすることになると思う(技の稽古や組手は自分のいないところでは絶対にするなと師に釘を刺された)。教室前の30分。初めてのことで楽しみだ。

教室に出られなくなった人の何人かに「型を覚えていないから、やめるとそれきりになっちゃうのよね」と言われたことがある。私自身が生活の節目節目になんとなく套路して気持ちや呼吸を整える習慣がついているから、縁あって太極拳を稽古したのにそれが家でできないのはもったいないなあと思う。だから套路すべてを順番通りにというのでなくとも(結局はそれが一番楽だと思うが)、型や動作の要領を覚えたいという人がいたらできるだけ力になりたい。