弟子のSです

武術の稽古日誌

稽古メモ

課題のミット受け。きっかけは子供空手の時間に師がデモでされた回し蹴りを私がミットで受け損ね、前腕部に当てて、折れたかと思うほど痛い思いをしたことに始まる。少し位置がずれていれば私のひじが相手の足の甲にヒットして怪我させていたかもしれず、師はこれを重く見て、そのつぎ、私は瀬尾さんを相手にスパーリングの稽古をしたのだった。

正直に書くけれど、何年も稽古でキックミットを使ってきたが、今までとくに受け方を意識したことがなかった。サンドバッグや巻き藁のようにどこかにぶら下げたりくくりつけたりする、その「どこか」をたまたま人間が担う、程度の気持ちで、心構えも何も、ミットは打撃の破壊力を「及び腰で受け止めることを可能にする道具」でしかなかったと思う。

何年も視界の中に確かにあったのに、ぼやけていた。

私の見る世界は、たとえば、下図のようなあんばいだ。スカイツリーを解像度350dpiで見ているとしたら、スカイツリー以外は72dpiくらいの低解像度でしか見ていない。こうしたものの見方を師は「万物に礼を払っていない」「価値判断している」と戒めるのである。

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視る、聴くといった能力は視力や聴力の問題ではなく、意識のあり方の問題だ。

http://doranekodoradora.blog123.fc2.com/blog-entry-395.html

ミットにフォーカスしてみれば、スパーリングにおける受けとは、ただ受けるだけのものでは全然なくて、自分の練習になり、かつ、相手の練習にも積極的に関わっていくものだった。上達すればするほど相手を伸ばすようなリードができるようになる。だから誰だって上級者にパートナーを務めてもらいたい。上級者に相手してもらうことの多い私は、ミットばかりか練習相手のことにも鈍感だったと思う。

重要性に目覚めてからがぜん積極的にミットに取り組みはじめ、師に言われてあれこれネットで調べ、一週間後の金曜稽古でやってみたのは以下。

・自分が実際に蹴りを受けるつもりで受ける。

・そのためには、逃げ腰で受けるより勇気を出して自分から向かっていく。

・向かっていくとは具体的には顔をそむけないこと。蹴りを潰しにいくつもりで。

師にアドバイスされたのは、ヒットポイントに腕十字の交差が来るように左手を添えること。

右手・左手・顔を三位一体とし、脇を締めて向かっていったら、今までになくいい感じに師の蹴りが受けられた。稽古を重ねて恐怖心が克服されるにつれ、もっと落ち着いてできるようになると思う。

目の前の世界にあって見ていない、見えていないものが、他にもたくさんあるんだろうな。