弟子のSです

武術の稽古日誌

稽古メモ

内功がつづく。

師に不思議な球を渡された。パワーボールとかパワーリストとか呼ばれるトレーニング器具だ。見たことのない人のためウィキペディアから丸うつししておくと、

「野球ボールほどの大きさの球形プラスチックケースに、重量のあるボールが内蔵されている。ボールの中心には金属の軸が通っており、これを中心にボールが回転する。軸はプラスチックケース内部の赤道面を自由に動くようになっている。」

初めに中のボールに縦回転を与えたあと、その勢いを落とさないように手首を使って(茶筅でかき混ぜるような動き)横回転を与えていく。回転が軌道に乗るとどんどん加速し、最終的には「ブーン」というモーター音とともにボールが手の中で暴れ出すような重量感を得る。

powerball.jpg

一連の動作が手首を鍛えるというのだが、稽古としては、中の回転球をなめらかに転がすのがキモだ。ボールの縦回転と軸の横回転がぶつかるとすぐに止まってしまう。師はボールと対話するようにゆっくり手首を動かしながら徐々に回転を増していった。

握力がなく、かつ回し方が乱雑な私は師から受け取ったボールをあっという間に床に叩きつけて壊してしまい、新しいのを買ってお返ししたのだけれど(なんということだ)、新しいボールはなぜか師の手になじまず、回らずじまいで結局私がいただくことになった(なんということだ)。

私はこの二代目は時々回せる。うまく回るときは手と回転球の動きが完全にシンクロし、中に軸があることを忘れさせる。初動で高速回転させるほど成功率が上がるが、師はそれだと内功にならないと仰る。一代目を師が少しの初動回転から聴勁でモーター音までもっていったのは今思うと驚きである。あと、回らないと二代目に見切りをつけたのも驚きの速さだった。遊びの範疇から外れる努力は一切なさらない方だと再認識した。

それから最近の稽古では、合気上げの要領を使ったボディワークを記録しておく。これも内功。

放っておいても姿勢の良い人というのはなかなかいない。観察すると何かしら歪みがあるものだ。人に対向して師が立つ。姿勢を直される側のその人が、師の両手首を軽くとる。師はゆるんだ姿勢から合気上げの要領で深く静かに息を吸い、胸を膨らませ、虚領頂勁(顎を引き頭頂を天から吊り下げるようにする)していく。すると相手も鏡のように師にならい、姿勢が正されてくる。横から見ていると、まるで手首を介して師からポンプで空気を送り込まれているようだ。

ちょうど好い加減のところで師が手をそっと下ろすと、良い姿勢になった人ができあがるという寸法。そのまま続ければ相手は背中が反り、押されるとさば折りの形で崩れる。

手本を見たあと生徒同士で稽古したが、手をとってただ深く息を吸うだけでは相手は同調しない。手を介して相手とつながる感じを得ているかどうか。

つぎに上段受けの形で対向して押し合う。一度目は押されて崩れてしまう人も、バランスの悪いところに師が触れて同様の合気をかけ、そのあとで再度押し合うと姿勢が安定して俄然強くなっている。触れて、息を吸い、胸を膨らませ、虚領頂勁する。これに相手が同調するのだ。

「棒立ちの相手」と「上段受けの相手」のあとは「動く相手」と合わせる稽古。自由推手で、相手の円運動に自分の円運動を同調させる。相手の力に直交せず、沿う。すべるように力の方向を重ねる。ここに至って、パワーボールを使った聴勁の鍛錬との関連がわかった。

合気上げそれ自体についても、今まで構造や発勁を工夫する稽古など重ねてきたが、この上げ方は新機軸である。息を吸い、軽くなったこちらの体が持ち上がることで、鏡のように相手も軽くなり体が持ち上がる。それはパワーボールがうまく回せたとき、手と回転球の動きがシンクロして彼我の境界がなくなる感覚に近いと思われる。あれは理屈でなく「感触」や「つかみ」でするものだから、手を介して相手に同調させるこのワークについて、師が言葉では説明できないと仰るのもうなずけた。