弟子のSです

武術の稽古日誌

地獄は一定すみかぞかし

武術や、武術の師や、稽古について。詩人の伊藤比呂美さんが現代語訳した『歎異抄』第二条、抜粋。念仏を稽古と読み替える。

わたしは、ひたすら念仏してアミダ仏に救われようと

法然師のいわれたことをそのまんま信じているだけで

あとはなんにもありません

念仏をとなえることがほんとに浄土に生まれかわるたねになるのか。

それともそれがもとで地獄におちてしまうのか。

それもまったくわからない。

でもたとえ法然師にまんまとだまされて

それで念仏して地獄に堕ちたとしても

わたしは後悔なんぞしません。

理由はこうだ。

修行をかさねてぜったい仏になれるだろうというような人が

念仏をとなえたせいで地獄におちるようなことになれば、

それこそだまされたという後悔もあるでしょう。

ところがわたしは

どんな行もできないような人間です。

地獄がすみかと決まっている。

アミダ仏の『すべての生きものを救いたい』というお誓いが真実なら

シャカ尊者のお説教も、うそやはったりではないはず。

シャカ尊者のお説教がほんとなら

善導大師のご解釈もうそじゃないはず。

善導大師のお説教がほんとであるなら

法然師のいわれたこともうそであるはずがない。

法然師のいわれたことが真実ならば

親鸞のいってることもうそではない。

とどのつまり、わたしのような未熟者の信心はこの程度です。

伊藤比呂美『たどたどしく声に出して読む歎異抄』ぷねうま舎)

師より、私のブログの文章はふわっとしていて具体性に欠ける・肝心なところをぼかしてあたかも自分は悪くないかのように印象操作しているとの指摘を受けたので、来年からは自分がどう「どんな行もできないような人間」で「地獄がすみかと決まっている」かを失敗の具体例とともに記そうと思います。お た の し み に・・・。今年も一年読んでいただきありがとうございました。