弟子のSです

武術の稽古日誌

「明晰の罠」

「わからないことがある」ということをも含めて、わかる、ということは、本当にかけがえがない。静かで、確かだ。

といつぞやの記事に書いたように、理解とは武器であるなあとつくづく思う昨今だったが、くだんの対話で師が

「悟ったという明晰さすら敵である」

という言葉を紹介しておられ、冷水をかけられたというか、安まっているなりに、やはり修行とは安まることがない。

その言葉はカスタネダという人類学者がインディアンの呪術師ドン・ファンから聞いたもので、それによれば、知者には「恐怖」「明晰」「力」「老い」という順序で現れる四つの敵があるという。

わかることは「静かで、確かだ」と書いた私は、恐怖という敵は凌いだけれど、目下、明晰という「敵」に当たっているのかもしれない。自分は無知であり、間違いを犯し得るという認識は持ちつつも、それでもというか、だからというか、瞬間瞬間を「わかった気」で生きている。間違いに気づくのは常に事後である。東洋の「未病」概念(発病前に病気を治す)を知らぬ訳でもあるまいに。

カスタネダの本には明晰は耽溺であり、一つの世界の囚人になることだ、みたいなことまで書いてあるらしい。手厳しい。読まないと。