弟子のSです

武術の稽古日誌

観察する稽古

1月も早や半分過ぎてしまいましたが、今年もよろしくお願いします。

前回の記事の最後に、自分は物事を「印象」で捉える傾向があると書いた。私はコミカルなイラストを描いてお金を頂いているが、思えば職業選択の妙というか、日々やっているのは印象やイメージを絵にすることである。たとえば次のようなフォルムを描いて、
f:id:porcupinette:20180115191925j:plain
1本の線を加えればりんごになるし、
f:id:porcupinette:20180115191939j:plain
点々を加えれば梨になる。

f:id:porcupinette:20180115191947j:plain
りんごは「色ムラ」、梨は「斑点」の印象をそれぞれデフォルメして「それっぽく見せる」わけだ。いわば記号化である。ものを見るときの私はたぶん、ほぼ無意識のうちにこの記号化を行っている。

師に教わって英BBCドラマ『シャーロック』を見続けているが、主人公ホームズが相棒ワトソンに向かって「君は見るだけで観察しない」とたびたび口にするのを天の声のように聞いている。「見て」印象は捉えても、「観察して」実際のありようを掴んだり、そこから何ごとかを類推するというのは不得手なのが私だ。それは武術的には「見ていない」のにひとしい。たとえば、技を間違えて再現するというのは「見ていれば」起こり得ないことだと師は仰る。
できないならできるように稽古したらどうなんですか、というわけで、観察する稽古を始めた。

CDジャケットを見る。

f:id:porcupinette:20180115192028j:plain

存分に見た感触を得たところでCDをしまい、頭の中にあるものを紙にアウトプットしてみる。

f:id:porcupinette:20180115192001j:plain

答え合わせして絶句した。ちょっとこれ、相当まずいかも・・。長年親しんだアルバムを選んだのに、全然再現できない。技もこんなふうにしか覚えられないんだとしたら、そりゃあ雑にきまってる。
そこでジャケットを模写することにした。ためつすがめつ、細部を観察する。

f:id:porcupinette:20180115192009j:plain

服のドレープ、光源、髪、星、こんなふうだったのかー。
それから再度ジャケットをしまい、改めて頭の中のものをアウトプットしてみた。

f:id:porcupinette:20180115192021j:plain

最初のと比べて雲泥の差である。ただ見るのと観察(模写、スキャン)するのとで、結果がこんなに違うなんて・・。「見るってことは、愛だなあ」と思った。

ホームズ「たとえば君は、玄関からこの部屋まであがってくる途中の階段は、ずいぶん見ているだろう?」
ワトソン「ずいぶん見ている」
ホームズ「どのくらい?」
ワトソン「何百回となくさ」
ホームズ「じゃきくが、段は何段あるね?」
ワトソン「何段? 知らないねえ」
ホームズ「そうだろうさ。心で見ないからだ。眼で見るだけなら、ずいぶん見ているんだがねえ。僕は十七段あると、ちゃんと知っている。それは僕がこの眼で見て、そして心で見ているからだ」(延原謙訳「シャーロック・ホームズの冒険」より)

よく見るというのは心がけでなく、おそらくは方法の問題なんだろう。稽古をしばらく続けてみる。