弟子のSです

武術の稽古日誌

観察する稽古つづき

ツイッターでご覧になった方もいらっしゃるかと思いますが、水曜日、稽古場所である巣鴨のキャラクター「すがもん」を師とともに凝視、道場で再現してみました。 

f:id:porcupinette:20180120220721j:plain すがもん

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私の再現力にいささか驚かれた様子の師は、私の消しゴムを指し「もう一度やってみましょう」と仰った。府中市美術館のキャラクター「ぱれたん」である。

f:id:porcupinette:20180120194411j:plain ぱれたん

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うーん・・・・・・・・。

思うに、私の問題は、脳内の画像をそのままアウトプットするべきところ、無意識のうちに頭で考えた理屈を加えてしまうところではなかろうか。たとえば「ぱれたん」の頭の被り物を完全に失念したのは、片手に筆を持っていれば片手にはパレットを持っているはず、という「思い込み」のせいだ。また「すがもん」の着物の合わせを、和装は右前という「知識」で私は描いている。いっぽう、師は合わせを逆に描いたが、それは単に見たものを誤って再現したためだ。師が合わせを右前に描くとしたら、それは知識によってでなく、見たもののより正確な再現によってだろう。

より根本的な問題は、私が「画像を脳に焼き付ける」のでなく「印象を得る」程度にしか情報をインプットできていないことだ。高解像度でスキャンした画像を小さくリサイズすることはできても、低解像度でスキャンした画像を大きくしようとすれば偽情報を加えて補完せざるを得ない。再現したはずの絵がどれも「私独自のテイスト」なのはそのためだと思う。

うーん・・・・・・・・。

稽古を続けなさい、と師は仰った。もちろんそうするつもりだ。