弟子のSです

武術の稽古日誌

稽古メモ

組手メーター: 2|41|300

最近心に残ったこと。
子供組手の時間、師が皆を座らせて次のような話をしていた。「周りが目に入らなかったり、集中していないと、どんなに力や技があっても危機に気付かない。それは死にやすいってことだよ」。そして生徒に「君たち死にたくないでしょ?」と問いかけた。するとひとりの子がそれに対して「おれ時々死にたくなる」と答えた。小2の、ふざけてばかりいる子だ。そのとき話をしていたのもそもそも彼らの目に余るおふざけのためだったのだが、その子がそんなことをつぶやいたので、へぇ、と思っていると「死にたくなるけど・・あー、でも殺されるのはイヤだな」と続けて言った。

人の気持ちは生きると死ぬの間を時折揺れ動くが、誰かに殺されるのはいつでも避けたい。
生殺与奪権が他者の手に渡ることを人間は望まないようにできている。十歳に満たない子供でもそうなのだ。

そのあと師も仰っていたのだが、たとえば連続殺人犯が死刑になることを望んで事件を起こしたとしても、事件の現場で目の前の警官に殺されることはまず望まないだろう。

いつかは死ぬべき存在という本質的な不自由のもとにありながら、人は生殺与奪権を自分の手にしていたい。つまり選べる存在、自在でありたい。自由とは、選べるということだ。

武術の出発点とも言える言葉を口にしたにもかかわらず、その子の目は相変わらずタリラリラ〜ンと宙を泳いでいる。でもこういう言葉が時々聞けるのが、子供との稽古のおもしろいところ。