弟子のSです

武術の稽古日誌

空手のこと

今日は集中して空手について座学し「いろいろあるんだなぁ・・」と全体の印象は曖昧ながらも、だいぶ賢くなったと思う。昨日までの私がどれほど空手について無知だったかはあえて書くまい。アメリカとイギリスの違いもわりと大人になるまで微妙だった私である。

空手の原型である「唐手」はその伝承地域・技術系統からざっくり二種類に分類される。内功を重視する中国北派拳法の影響を受けた「首里手」と外功を重視する中国南派拳法の影響を受けた「那覇手」である。それぞれ間合いが違って首里手は遠距離戦、那覇手は接近戦を得意とするという。太極拳は北派拳法だけど、北派の影響が色濃い首里手の間合いが遠距離だというのが謎である。師も那覇手の方が太極拳に近いと言っておられたと思う。

いずれにしても素手素足による打撃が主体の武術であって、本土に普及発展させていく過程で組手などのルールを巡って様々な歴史的変遷を経ることになった。本土への普及に大きく貢献した、首里手の船越義珍氏などは組手には否定的で「唐手を体系化して安全に普及させる」ことを望んでおられたようだが、時代が下って直接打撃制を採用する流派などでは、それこそ稽古で前歯が骨の付け根から折れて歯茎が飛び出しましたとか何だかもうケガ人続出、過激で縮みあがるような記述も散見されるのであります。

もともと空手の「受け」「払い」といったものに興味を持って調べ始めたのだが、上記のように流派によってだいぶ違いがあるようで、空手の受けはこういうものだという印象が定まらずにいる。たとえば首里手の流れをくむ「和道流」という流派の受けは力まず触れずに流すような受けだというし、筋骨重視な印象のある那覇手の流れをくむ「上地流」などは攻撃側の拳足を壊してしまうような受け方をするという。

本土で発展して興行的な側面まで意識したような流派もあれば、中国から渡った沖縄「唐手」の伝統技法を現在に残す流派もある。Sの興味は後者に向くけれど、ナイハンチ、ガマク、チンクチ(寸力)、ムチミ(餅身または鞭身)といった聞き慣れない琉球言葉で溢れかえっており、今日のところはここまでなのである。

おまけ・武術の流派って、オリジナルの型を大切に守って伝えていくことに重きを置くか、改変を加えてでも普及に重きを置くかで違いが出てくると思った。そして個人についていえば、流派に自身を捧げるというか既成の流派を極めようとする人と、流派にこだわらず個人の完成に重きを置く人とがいるんだなと。人は一人一流一派、と仰る師は後者のタイプの武術家であろう。