弟子のSです

武術の稽古日誌

用語解説

カサブタだ黒子だと、知らずに読む人にはスキンケア関連の話題かと思われそうな昨今の記事の頻出用語について、師の言葉を引きつつ説明を試みたいと思います。 カサブタ:我執。意識的な意識。自分の本体・自我を覆って見えなくしているもの。
本来の自分の核というものは、誰しも明るく透明で静かなものです。 しかし、それにべったりと弱さや劣等感、見栄などがへばりついてしまった人は、それが自分の核だと思うようになり、それら無価値なものを守ろう、隠そうとします。それが、出来ない自分を言い訳して、出来ない状態にあえて留まろうとする心理です。ほとんど一体化しているそれらと核を分離するには、かさぶたを引きはがすような痛みと恐怖が伴うのだと思ってしまうのです。 しかし、実際にはそれは核ではなく、剥がされる弱さの側の視点なので、自分は苦しいどころか楽になる一方です。
武術においては、全ての個、我執を滅して、それでもなお残るもの、削り切った事でおのずと浮かびあがるものが本当の個性、自我です。
「意識」の自分はつらい苦しい言いますが、それは本当の自我ではなく剥がされるカサブタの意見なのです。参考 http://doranekodoradora.blog123.fc2.com/blog-entry-249.html 黒子(くろこ):武術においては「私」が行為の主人公だと思ったら大間違いだよ、「私」は武術では黒子だよ、というお話。
私という存在、自我の主体が意識だと思っている人は、脳を通じて右手に打ちなさいと指令を出し、それで打つという動作を行います。が、常々言っていますが、武術をやるというのは武術そのものになるということです。なので、「私=打つ」であり、私という存在、主格と、打つという行為、動詞が同じ意味になることが求められます。
「私→打つ」では実際の攻防に間に合わない。
そういう意味では武術は芸術ですが武術家は芸術家ではありません。・・・それは文楽の黒子のようなもので、人を感動させるようになるほどに、黒子の個としての主張、存在は消えていきます。
参考 http://doranekodoradora.blog123.fc2.com/blog-entry-258.html 奴隷:鉄格子の中の囚人。かごの中の鳥。執われから解き放たれていない人。または執われている自覚のない人。カサブタをつけてつらい苦しい言ってる人。
生まれついての奴隷は自分がどれだけのものを奪われているのかを知ることが出来ません。しかし、自分の体を自由に扱えるようになり、自分が自分の主人となった時、人間はどれだけ多くのものを喪失していたのか、そして自分で自分をどれだけ卑小なものに貶めていたのかを知ります。
ヘリゲルさん:オイゲン・ヘリゲル(1884ー1955)、観念論の本場ドイツの哲学の先生。日本で教える間に阿波研造師範より弓術を学ぶ。西洋合理主義の厳密な論理的思考でもって東洋的な非思量の世界に対峙するヘリゲル先生の悪戦苦闘ぶりは著書『弓と禅』に詳しい。