弟子のSです

武術の稽古日誌

今日のお稽古

「○○さんも××さんも△△くんも、あなたより後に稽古を始めたのにあなたより上手くなっている。それはなぜだと思いますか?」と師に言われて、重要なのは「なぜ」以降だと思うのに、前半の言葉に感情が反応してつまずく。自分でそうとわかっているから余計こたえる。

「言われたことをやりなさい。クソみたいな回り道をさせるな。あなたは何もわかってない。どれだけふざけた事言ってるの。舐めてるよね。失礼すぎる。当たり前の礼をわきまえてください」

武術90分、スポセン。

・基礎鍛錬とその用法

・受け身。床を受容する・・というので、高い位置から前回り受身。

・筋力でなく体幹由来の圧をかけて押す。太極拳の歩法を使って。

・相手のパーツ(肩、ひじ、首など)に蛇のように隙間なく腕を絡めて連結してかける投げ技。

・対向して両手を合わせ、目を閉じた状態で蹴りをかわす。両手から蹴りの起こりを察知する。

・目を閉じて双推手、寝技のラリー。

丹田で相手の力を受け止め、返す。

稽古中は体を動かすことに集中しているが、稽古以外では「顔がぬれて力が出ない」。お店で師と瀬尾さんの楽しいやりとりを聞いていてもこちらから与えるものが何もなく、瀬尾さんに、そんなんじゃそのうちSさんに誰も何もくれなくなるよと言われる。

「私はこのめんどくさい人のケアをします」と言って師は、貝みたいに口のきけなくなった私と残って話をしようとして下さった。それは蜘蛛の糸だが、私は愚かなカンダタでそれでも師を失望させる。

師弟関係は盟約で、その盟約の根拠は弟子の自由意志に基づく。私は自分の意志で師を師としている。それは師の中に、感情や意識の主体たる「本体の私」以上に「良き私」を見るからだ。つまり師弟においては、師の言うことをきくのはより高次の自分に従うことなのだ。だから師の指示は絶対である。自分を大切にすることと同じだから。

私の師は「やろう」としか言わない。やろう、が絶対なのに「あなたはなぜ私以外の意見を聞こうとするのですか?」師以外の意見とは、つらいとかもうダメだとか消えちゃいたいとかいう「本体の私」の意見のこと。

「やろうとしない人に一分一秒でも割く時間はありません。やるかやらないか、決めるのはSさんです」。