弟子のSです

武術の稽古日誌

鄭曼青という人

師の教える太極拳は鄭子三十七式の流れを汲むもので、その始祖の名を鄭曼青という。鄭氏の著作の英訳された一冊を以前読んだが、今回教え子の手による評伝を読み始めたら、これがまたなかなか面白い。タイトルを直訳すると『秘密にするものはない』。著者はWolfe Lowenthalという、ニューヨークで20年以上鄭曼青に学んだ人です。以下、拙訳でちょいとご紹介。

—序—

 私の師、鄭曼青は1975年に亡くなった。10年以上の歳月が流れた今でも私は彼の死に向き合うことができずにいるが、彼の教えは喪ってますます輝きを増すようだ。記録しておかなければ失われてしまう、その思いがこの本を書く動機となった。

 師は太極拳・絵画・書・詩歌・医術の「五つの技能の達人」であった。なかで最も彼が愛したのが太極拳である。師は太極拳の真の達人であって、この武術が我が国アメリカで発展する礎を築かれた方である。師の教えがいかにも妥当で説得力があること、実演する技術がずば抜けていたことが我々に大きく影響を及ぼした。70代の老境に達してさえ、師は太極拳の驚くべき術理を説明するのに「私の言うようにしてみなさい」でなく「私のするようにしてみなさい」と言ったものだ。

 短期間だが師がボウリングをなさっていた時期がある。自分は実際に見たことがなく、師があのローブのいでたちでレーンに向かって球を放るのを想像して頬を緩めていたが、ある日のこと、師は我々に「ボウリングはやめたよ」と宣言した。

「なぜです、先生?」

「自分は70過ぎた爺さんだよ。球が重すぎるんだ」

太極拳の不思議なところは、その理に力というものを一切介在させないことだ。5キロのボウリングの球を転がすことも覚束ない人が、100キロ超の巨漢を一押しで道場の隅までふっ飛ばす。

 師は私に「やり方がわかれば、君にも4オンスの力で牛が引き寄せられるよ」と言われた。師の「やり方」について、私が22年かけて培った洞察をここに記そうと思う。

 師はかつて「太極拳をして得られる最も重要なものは何ですか」と問われ「高次の段階にまで達した時、生活の大事を楽しめる健全さが手に入ることだね」と答えられた。護身術でもなく、健康法でもなく、師は太極拳を「タオ(道)」、生き方と捉えておられた。

 この本では鄭師のことを「Lao Shr」「先生」「お爺さん」と呼ぶ。見下す意図は全くなく、ただ我々がどのように師と親しんでいたかを書き留めておきたいからだ。

 鄭曼青について言うべきは「彼は私の師である」ということだ。拙作をお読みになった師が「然り、彼は私の弟子である」と言ってくださることを切に願っている。