弟子のSです

武術の稽古日誌

稽古メモ

さわらないと稽古にならないので普段は何のためらいもなく相手の手をとったり肩をさわったりしているが、人の身体をさわるとは本来とてもデリケートな行為であって、他の方はどうか知らないが、私は道場以外で人にさわったりさわられたりすることはまずない。人と別れ際に握手したり会ってハグしたりするのは「そうしなければすまない」という気持ちの高まりがあり、かつ相手もそれを喜んで受け入れてくれると確信のある時だけだ。つまりよほどの事情がないかぎり相手にさわるということはない。ましてや敵対的他者になど。

しかるに、そんな私が学ぶのは相手に触れてなんぼの太極拳であって、生体の機微を触覚によって知ることは聴勁という、わけても重要な技術なのである。

私が前回の記事で「調和の推手・・敵意のない相手と通じ合う稽古としての推手はなんとかこなせるようになったが、殴る蹴る・ひいては殺すという敵意の相手と対峙する稽古をこれからしていくのだ」このように書いたところ、先日、師は次の段階に必要な技術を肩に触れる・触れさせるという稽古を通して示してくださった。それは皮膚をさわるのでなく芯をとらえるというか脳にくるというか、なにしろ物理的にさわる以上のもの。なんというか「閑かさや岩にしみいる・・」という感じで、できていたはずの私の推手や組手はそれからガタガタになってしまった。

またもや師は「愛」ということを言っておられた。武術でいうところの愛の定義がさっぱりわからない。そのことを考えると混乱する。