稽古メモ
先週の金曜稽古で私に投げられて首を痛めたSYさんは大事をとって今週は見学されていた。受身を教えてくださいと師にリクエストしていたようだが、師は、受身が必要になるような投げ方はこの護身術クラスでは稽古しません、問題はそんな投げ方をする人にあります、と答えられたそうだ。私のことだ。
それで今週は、投げ技をかけ、足が浮いたり崩れたところで成功と判断し、投げきらないという「技の稽古の仕方の稽古」をした。
SYさんの件で師に「強さを求めるな」と厳しく言われたが、そう言われるまでもなく、人に怪我させるくらいならもう強さとかどうでもいいという気持ちに私はなっている。SYさんは親身にも「あなたはこのことで萎縮しちゃだめよ。あなたとはこれからも稽古していきたいんだから」と繰り返し言ってくださったが、今は人に触れること、稽古することが怖い。すればまた私は面白くなって、夢中になって、周りが見えなくなるだろう。
今までで最大の危機はひざの靭帯を切った時だったが、単に私個人のフィジカルの問題だったあの時とは問題の質が全然違う。人との間で、文字どおり人間として今後どう生きていくかを問われているようだ。
稽古後「もう強くならなくていいです」と師に言うと、師は今度は「怪我をさせないために強くなれ」と仰る。「強さを求めるな」そして「強くなれ」・・・? 相反するようだが、人に怪我させない強さを手に入れろ、ということだという。
そのためにも自分を肯定するな、弟子として、武術家としての役割に徹しろと言われた。
師「師弟は人間である前に公人です。あなたはその順序が逆だからいつまでも噛み合わない。自分の命より職命が先です。武術家の職命は私を含む先人の思想と技術を生かし、発展させ、伝え、その価値を証明し続けることです」
私「それは、自分は雑であるという認識を原点に、私がよい人間に変わっていくという過程で実現しますか?」
師「そこで完結せず、だから誰もが変われると示し、変わりたい人を導き、やり方を教えてあげる。さらにその人たちにできればあなたたちも次の世代にこれをシェアリンクしてくださいと呼びかける」
私「私にそれができると? こんな私に!」
師「私にできるか、ではなく、それができる人間として行動し考え発言しなさい」
雑でなくなれ、という教えには100パーセント従うし、自分でもそればかり考えているが、職命うんぬんについては、正直、話す相手を間違っておられるのではと訝りたくなる。私を主語に考えればそうなる。私を主語にしているうちは話が先に進まないとわかってるけど・・。