弟子のSです

武術の稽古日誌

稽古メモ

スポセンの耐震工事完了、開館なる! 待ちかねた! 師があたりを払いながら道場を横切ってこちらに近付いてくるとき最大に緊張するのは初めの頃から変わらない。武術やりたいと言ってここに初めて来てから、もう4年経つんだなあ。

今日はいきなり推手から。攻撃なし、手の攻撃あり、手足の攻撃あり(自由推手)・・。私が自分で情けないと思うのは身体があまりに脆弱なことだ。お腹を蹴られればうずくまらずにいられないし、少し強く足技をかけられれば手足を傷める。脆すぎてこれ以上どう手加減すればいいかわからないと言われた。

師に図星を指されたが、靭帯を損傷した時の必死の筋トレや食養生から最近はすっかり遠ざかっている。脆弱な身体で何が何でもと態度だけは勇ましく相手に向かっていってもよい結果は得られない。「稽古するなら稽古に耐える自分を作ってから来てください」。本当にそうだ・・・。先日瀬尾さんに、Sさんのは「捨て身」じゃなくて「身捨て」だ、と言われたのを思い出した。

ひざを傷めて動きが悪くなったところ、師は即座に、足を取られた際の受身と捨て身技による対応を三種教えてくださった。「身捨て」はバカだけど「捨て身」は対処、武術である。

稽古後の座学も4年目に入った。テキストはもう溢れています、とは数年前に既に言われたことだが、今も「それはもう前に何度も説明しました」と返されるような質問を繰り返しており、われながら進歩がないなと思う。

目的意識を持つな。

AorBで語られる思想は武術ではありません。

なのに気がつくと「強くなるためにはAするのがいいか、それともBするのがいいか?」式の考え事を延々としていて、今日もその類の質問を持って行き師に溜め息をつかせた。「それは打算です」。

(武術は)戦いに勝つためのものではなく、戦いとは何なのか、その構造を明らかにしていくものです。勝てるのはその理解度の副産物でしかありません。

私はごく素朴な意味で「強くなりたい」と望み、それだから今までやってこれたんだとも思うけど、「強くなりたい」で武術はわからない。師は、どんな最強の相手に対しても勝負なしに持ち込めるようにとは仰ったが、どんな最強の相手にも勝てるようにとは仰らなかった。「なんとかして強くなりたい・勝ちたい」が先行するのはバカだ。「武術とは何か」「それは武術か武術でないか」をただ追求していくこと。師が何度でも仰るように、

森に愛された者だけが森から恵みを受けられる。そして森を愛さない者は森に愛されることはない。

もっと武術を好きになれ、とは多分そのことだし、その方がやっていて楽しいよね・・・。