弟子のSです

武術の稽古日誌

カフェで働く

仕事を通して考えたこと。

・多くの若者らと共に働いているが、参考になるのは悩まないタイプの人たちだ。彼らはわかんないものはわからん、できることしかできません、といった感じで現場に立っている。それでじっさい何とかなっている。私にはそれが「わからなくてもいいじゃない」という力強いメッセージに思える。ちょっとした失敗があっても「間違えた」「やっちゃいました」それでおしまい。打たれ強いというか、打たれない彼らを見ていると、確かに私は好きで悩んでるのかもなあと思う。

・若い上司に「一生懸命お客様のことを考える気持ち、明るさ、笑顔。そこに関してSさんは他のスタッフの手本になってくれていると感じる」と言われた(本当です)。教え下手を嘆く私だが「先生」になれなくても「手本」にはなりうることを教えられた。

(ただし師弟のことでいうと、その意義は教えのバトンの受け渡しだから、弟子たる者はやはりいつかは誰かの先生にならないと意味がないのではと思う・・。手本とか、ふわっとしたものでなく)

・職場で会う中には私に対してあからさまに蔑んだ態度をとる人もいる。どんくさいおばさん、と見下しているのがびしびし伝わってくる。そうかと思えば上述した上司のように、買いかぶりとも思える評価をしてくれる人もいる。各人の何が違うのかといえば、目の付けどころ、視点だろう。人は自分の視点でものを見る。つまり人とはある一つの視点である。視点が人を表すとも言える。上司の良い評価を買いかぶりと感じる私も自分の視点から自身を見ている。

蔑まれれば不快、認められれば快。感情は外界からの刺激に対する反応だから乱高下するし、「リアルだが実体のない」ものだから大事にしすぎると行動を誤る。感情の示唆するものを無視してはならないが、そこは気をつけないといけないところ。今のバイトに自分が向いているとはとても思えないが「上の領域の人間が見ている適性と本人の苦悩は一致しない」と師も仰っていたし。