弟子のSです

武術の稽古日誌

稽古メモ

太極拳の要素の反映されない組手をするなと長く言われてきた。それは動き方はもとより、戦い方についての教えであった。勝敗という相対性を離れ、終わりのないラリー、将棋でいうところの「千日手」に持ち込むこと。 ・・が、先日の稽古の際、今までとは少し毛色の違うアドバイスをされ、新たな謎を抱えることになった。それは「あなたはこれから柔術寄りの方向で進んでいくのがよいかもしれない」というものだ。千日手を指向する太極拳柔術との違いは、(剣術の流れをくむ)その戦い方の性質が「一発回答」なところである。過激な表現をすれば一撃必殺、穏やかに言えば一期一会とも言えるだろうか? それは所作や立居振舞い、礼法にも及ぶことだという。脆弱なスペックにもかかわらず粗野な動きしかできない私を見兼ねたのか、ラリーには向かないと判断されたのか、「困りましたねえ・・」と眉根を寄せてしばらく考え込まれた末に師はそう仰った。 もともと白桃会の武術は、創設時と変わりなければ、太極拳柔術の両要素を含むことで互いを補完し合うというものである。両者は縁遠いものではない。太極拳が日本に伝わったのは公式には1972年の日中国交回復以降だというが、その技術を初めに取り入れたのは佐藤金兵衛という柔術家だったそうで、そんな史実から考えても、剣術・柔術太極拳には多く共通するものがある。動きでいえば手を円相に張ること、止まらない・居着かないこと、手(刀)に導かれて動作が起こること・・等々。 剣術・体術(柔術)が解こうとする課題について、師はツイッター上で次のように書かれている。 壊れ物を使って自分は壊れず相手を壊すという難題。 私にとって壊れ物とは自身の身体そのものだ。身体だけでなく、一か月外で働いてみて、自分がどれだけ弱い頭脳と心の持ち主かを思い知らされた。このお寒い手札で敵を倒すのだ。戦いは総力戦であって、武力や殺傷能力ばかりが強さの要素でないことはわかっているつもりだが、私は武術を志すくらいの人間だからやはり「相手を壊す」という文言に魅了されるし、この課題を解くことが自分との付き合い方のカギになると思う(付き合う自分とは師仰るところの「心の中のだれか」であろう)。しかし柔術寄りでやっていくって、具体的にはどうすることなのか・・?