弟子のSです

武術の稽古日誌

稽古メモ

今日、発達・進化ということについて、通信技術を例にとって師から伺った話を覚え書き。

「情報をより速く伝達しよう」という試みを歴史的にざっくりひもといて、

 

飛脚 → 馬 → 伝書鳩 → FAX → メール

 

としたとき、「伝書鳩」と「FAX」の間に質的な変革、別次元への飛躍があることがわかるだろう。物理的に早く運ぶ技術を究めるのも凄いことだけれど、電気信号を用いることで、人は物理的な移送という制約から自由になった。のちにはデジタル化で紙という制約からも自由になる。

さらに高次への進化として、

 

→以心伝心

 

というのがあるかもしれない。だとすればこれほど速い伝達はないだろう。

といったような内容であった。

 

後代の人間が過去を「昔は不自由だったな」と振り返るのはたやすいが、先代の人間が自らの不自由を知ること、制約に気づくことは難しい。見えないものが「ある」とし、それを見ようとする姿勢の中からしか進化は生まれない(いわゆる「無知の知」ですね)。

たとえば手練れの飛脚の前に未来の人が現れて「あなたが今運ぼうとしているそれですが、こんなふうに伝えることもできるのですよ」とスマホを見せられたとき、飛脚がそれを「常軌を逸している」と一蹴するか「すごい、どうすればそんなことが」と思うか。どちらの態度が進化につながりやすいかは自明だろう。

 

「以心伝心」の例として師が仰るには、今日、教室の最寄駅に降り立った師は心で(Sさん10分早く来い)と声に出して私に語りかけたという。金曜日はいつも何やかやでギリギリに駆け込む私だが、果たして今日は10分前には教室にいた。なぜ今日だけ早めだったかと言えば「なんとなく」。特に理由はなく「たまたま」。なのでそれを聞いても「へえ・・そうでしたか・・」としか私は言いようがなかったけれど、とにかく、師の語りかけは私の行為に反映されたのである。

 

ことの真偽はともかく、師によれば、そうした一見オカルト的な話をされても拒絶反応を示さない、それが私がひとつ成長したところだという。何だかよくわからないが褒められているようなので嬉しい。私にしてみれば、師は、飛脚にこれどうだとスマホを見せる未来から来た人なので「普通じゃないことを言っている人がいるな」「そう思う自分には何か制約があるんだな。それは何だろう」と考えるだけである。

常軌を逸することなく現状を生きる快適さは重々承知しているが、進化史の中では自分は常に「未来から不自由と振り返られる存在」だ。私は生きているうちに進化史のどこまで行けるだろう。

 

 

付記:口に出したかどうかが重要だとの指摘を師より受け、一部修正しました(-線)。「心で言った」→「声に出して言った」。従ってチャートの「以心伝心」も用語として適当とは思えませんが、説明の便宜上このままにしておきます。「別次元の何か」という文意を汲んでいただければ幸甚です。「飛脚」が未知のスマホについて描写できる、これが限界ということでご承知おきを。