弟子のSです

武術の稽古日誌

武術はジャズかもしれない

(PCで見たとき非常に重いと教えてくださった方がいて、1ページあたりの記事数を半分にしました。ご指摘ありがとうございました。)

先日師に「礼や師弟という概念を理解しておらず、重要な師の話を遮って自分の関心のあることだけを聞こうとする」と言われ、考えていたところ、この問題はジャズのセッションに似ていると思いつく。日野皓正の体罰がニュースになったが、彼がソロを終えない教え子に怒ったのも「おまえはジャズという概念を理解してない!」ということだったと思う(日野はコメントで、殴打したドラマーについて「父と息子のような関係で、ほかの生徒には絶対に手を上げない」と言っている)。

セッションという名の「絡み」がジャズの真骨頂だという。そこでは合わせられることは達成目標でなく参加要件である。すると冒頭の師の叱責は「どうすれば相手の音が聴けるか」という、セッションの技法と共通するものだとわかる。

私はジャズは門外漢だけれど、ジャズマンも我々も同じことをしているのだ。「直」である、礼を払う、そうしたことの先には「音楽」を創り出すという途方もない楽しみが待っていそうだ。ビンタを食らった中学生は、こっちの高みに来るんだろ、という「お父さん」の意を汲みとっただろうか。