弟子のSです

武術の稽古日誌

稽古メモ

先週の金曜稽古で、師に強い調子で言われたこと。

問いを立て直すな。

「なぜ太極拳はゆっくり動くのか」「なぜひじを曲げないようにする(=掤を張る)か」「なぜ靠は・・」「なぜ・・」武術に関する基本的な問いについての答えは何度も言葉で説明されているはずなのに、いざ問われると明瞭な説明ができない。これは教えを誰かにパスする際の障害になるばかりか、自分が教わることもまともにできていない証拠だという。
問いを自分の言葉で構成し直すという悪癖が、直でないことが、教えを「そっくりそのまま」受け取ることから遠ざけている。

6年近く師の弟子をやって、まともに教わることができない自分。今までブログをしゃあしゃあと書けていた厚顔はなんなのだ。

最近悟ったのは、知らなかったことは免罪符でなく、過失であること。無知ゆえの誤りは「知らなかったんだから仕方ない」ではなく「知らなくて申し訳なかった」と謝罪すべきものだ。

 ここ数年で「自分とは何か」「何と戦うのが戦いなのか」が徐々に把握できてきて、それは天と地の間に人たる自分がすんなり収まった安定を、つまり健康を私に与えてくれているのだが、それは「ただ法(教え)の恩恵を受けているのであって、法を継いでいるのではない」と師は仰る。(言葉の問題があるにもかかわらず教えの恩恵が得られているのは、密儀や俳味の検討といった「不立文字」系の稽古がなんとか成立しているからだろうか?)

言われても、再び間違えない自信が全然ないのだ。私の不出来と不誠実とを申し訳なく思う。