弟子のSです

武術の稽古日誌

稽古メモ〜重心を外に出す〜

小金井の太極拳教室は5月22日から屋外(小金井公園)で稽古が再開されている。元の講習場所である市民体育館もビジター利用は再開されたため、晴雨にかかわらず稽古ができるようになった。再度、再々度の感染拡大が起きないことを祈るばかりだ。

稽古日誌も気まぐれな更新になっているが、師から教わることはあいかわらず面白く、考えるヒントに溢れている。直近の稽古では「重心を体の外に出す」というのをやった。

太極拳套路では、起勢によって作り出した「重み(の球)」を移動させることで動作の流れができていく。重みを片寄せることで、体には重く沈む部分(実)と軽く浮く部分(虚)ができる。虚実のめりはりをつけることは、太極拳の動きの特徴のひとつ(「虚実分明」)だ。自分というものが動いているのか動かされているのか判然としなくなる、套路ならではの心地良さも、この虚実の移ろいから生まれてくるようだ。

その「重み」だが、いままでは確か、片寄せてはいても「体の内側」に置いておくのが基本だったと思う。だから体の中では「虚実分明」していても、個体全体としては重心が内部にあり安定していた。
それが今回その重みを、片寄せるだけでは足りず「体の外側」に出すという。自身から離れたところ、たとえば伸ばした手の先に重みの球を置いて、その重さを動きの原動力にする。重心を外す、つまりわざわざ崩れていくのだから「不動の個体」としては不安定にはなるものの、そうすることで、自身の体を重心の拠りどころにしていては生まれない動き、「うねり」が出るようになる。

あとで自分で動いてみて感じたのだが、動きの「拠りどころ」を自身から遠い位置に想定すればするほど、(拠りどころは「点」なので)おのずと動きは大きな弧を描くことになる。スパイダーマンが思いきり遠くに放った糸に身をまかせるような感じで、単体としては不安定なのに、のびのびする。自分を投げ出すほど、「うねり」にのまれて安定する。

重心を本体から外す系の動きというと酔拳八卦掌が思い浮かぶが、考えてみれば、こうした武術も自ら不安定になることで動きを作っていて、その動きを止めないこと、不安定であり続けることで安定している。

「安定」は重心が自分の内にあってこそ、というのは思い込みに過ぎないのだろう。自分が持つのはどうせ小さな体ひとつ、重心を体という枠から放してやって、自分の周囲360度、全方位的に重み付けして、流れの中で安定するという安定の仕方があるというのは、他力本願の真骨頂というか、ある意味たいへん心丈夫な感じがする。