武術ゆく年くる年 〜臨書と臨書と臨書〜
2024年も残りわずか。
振り返れば今年は、自分で始めたいくつかのことに心を注ぐ時間が長くなり、(孫の誕生という一大イベントも手伝って)稽古のお誘いをお断りすることが多かった。
自分としては何をしていようと日々是稽古のつもりでも、師に対して少し心苦しい気持ちがあったのだが、先日「教え子が独り立ちするのは嬉しいこと」と言っていただいたので、安心してこの稿を書きはじめることにする。
* * *
今は昔、稽古を通して日々身に付く金言があまりに尊く感じられ、今はなきTwitterに「武術格言bot」というのを作ろうとしたことがあった。
結局それは(師にお伺いを立てたところ)私というフィルターを通した「私によって選ばれた言葉」に過ぎず、武術そのものから発せられる真の言葉でないということで却下され、日の目を見ることはなかったのだが、今も私の心のタイムラインには私一人のための「武術格言bot」が流れ続けている。
その中の一つに「空の金庫を守っても仕方ない」という言葉がある。
市民向け護身術講座の一生徒から、志を立てて武術の稽古を受け始めたとき、師に「護身といっても、空の金庫を守ったって仕方ないでしょう」と言われたのがそれだ。初稽古から十数年経った今でも、いつでも私の「初心」を思い出させてくれる言葉だ。
空の金庫を守っても仕方ない。では、守るべき金庫とはどんなものか。
師にはその後たびたび「自分自身と向き合う時間をもっと大切にしてください」「自分のことをもっと考えてください」と言われた。言われて考えてみると、社会の一員としては役割を得てなんとか体裁を整えてはいるものの、裸のというか、単体の「私」の金庫は、もしかしたらスカスカなのかもしれなかった。見当違いなものが入っているようでもあった。そもそも、そんなことについてそれまで考えたことがなかった。
それから稽古を重ねて年月がたち、以前より少しは自分のことがわかるようになったし、有形のものは壊れたり失くなったりするけど、稽古して身についたものだけは失くならないなとしみじみ思う。それはなけなしの私の富だ。
「自分で始めたいくつかのこと」と冒頭に書いたが、そのモチベーションはつまり、自分という金庫の中にもっともっと富を積んでいきたい、ということなのだと思う。
というわけで2024年12月現在、小金井三十七式太極拳クラブの稽古以外に私がせっせと勤しんでいる主なものを挙げると、
・高齢者向け配食サービスのアルバイト
・朝食のパンのスケッチ
・書道の稽古。
どれも武術的な要素にあふれたものだが、配食のバイトのことは昨年書いたので、後の二つについて書く。
1 朝食のパンのスケッチ
短文を添えたパンの絵を毎朝描いてSNSに上げている。去年から始めた。いいことがあれば嬉しい、憂鬱なことがあれば悲しいと、出来事や喜怒哀楽を俯瞰して描写するよう意識している。
毒にも薬にもならないことの愉しさというか、誰に褒められなくても感謝されなくても認められなくても気にならない(たまさか「いいね!」を貰ったりすれば、そりゃ嬉しいけど)。何も目指さず、自分の決めたことのためだけに365日やっている。その日課をすることで、気分がニュートラルになる。
これから老病死へと向かうなか、涙目でパンを見る朝もいつか来るだろうが、そんな時こそこの日課が助けになってくれると思う。
また実用的なことでいうと、今は家族と暮らしているが、将来独居になった時にこのパン絵SNSが安否確認の役割を果たしてくれると期待している。更新が途絶えたら、それで身内に異変が伝えられるからだ。
2 書道の稽古
5月から、世代の異なる友人二人と書の練習を始めた。腕に覚えのある最年長の女性が基本点画の書き方を教えてくれる。始めたばかりの今年は、楷書といえばこれ!(だそうだ)の欧陽詢『九成宮醴泉銘』を臨書した。来年は行書を練習して、それから「かな」に進む予定。
パンのスケッチも、お手本を脇に字を書くのも、「よく見る」という点で武術の稽古に似ているが、三十七式太極拳の始祖鄭曼青が書の達人でもあったように、書道はより太極拳と親和性が高いように感じる。(なにより、沈肩墜肘しないとまともに筆が運べない。)
「稽古で習うのは技の手順ではなく、技に対する考え方」というのも、師にたびたび言われた言葉だが、「習うのは技の手順ではない」というのは、手順を軽視していいという意味ではなく、手順をなぞるだけでは本質に辿り着けない、ということだろう。書のお手本を見るのでも、自分らしさというものをいったん封印して、完コピを目指して「手順によって示される理屈」をよくよく吟味していくと、その字がどういう字なのか、という本質みたいなものが見えてくる。
点画をどう書くか、というのが「手順」だとしたら、点画をなぜそう書くか、というのが「考え方」で、考え方がわかったうえで書くと俄然よい字になる。同じ位置にある点画でも、流れの中に置かれた「理のある」点画は美しく見える。うーん、やっぱり太極拳だ。
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稽古で師の動きを真似るのも、パンをスケッチするのもある意味「臨書」と言えそうで、そう考えると今年は「見る」ことに明け暮れた一年だったが、芸事の習得段階をあらわす「守・破・離」でいうと、ひたすら見るのは「守」の段階。そこから「破・離」に至って初めて個性が発揮され独り立ちがかなうというわけで、正しく見たとしてもそれは前提というか、それでようやくスタート地点に立つだけ。道とは果てしのないものである。
私には相変わらず何もないんじゃないか、守っても仕方ない金庫を守ろうとしてるんじゃないかと思う時もある。しかしこれも師に教わったのだが、禅には「修証一等」という言葉があって、それによると、日々の実践(修)と到達(証)は一つなんだそうだ。よかれと取り組んだことが空しく終わったりたまに小さく実ったりする、そういう毎日そのものが、もしかすると富なのかもしれない。折々に心にあふれてくる格言に支えられて、2025年もがんばろう。
今年も拙文を読んでいただきありがとうございました。
パン絵を載せるSNSは、新年からnoteを試してみようと思っているので、よかったらそちらも覗いてみてください。皆様に、良い年の訪れがありますように。
武術ゆく年くる年 〜日々是推手〜
今年もまたたく間に師走である。
ここのところとりわけ時間の経つのが速く感じられるのは、週3回のパートの仕事のせいだと思われる。午後3時からご近所の高齢者に夕食のお弁当を届けているのだ。
安否確認を兼ねて、車で地域のお宅を訪問する。お弁当は一汁三菜、堅牢な保温箱に納められていて、コンテナに6箱入れると結構な重さである。
コンテナを車に積み込み、プップ〜と発進して、いざ訪問。「こんにちは、お弁当のお届けです!」
利用者さんは大半が80〜90代の一人暮らしの方だ。男女比は半々くらい。ドアを開けてもらい、玄関先や居室内で言葉を交わしながら、体調はどうか、変わったことはないか、要望はないか等を数分のうちに確認する。初めの頃は利用者さんとの会話にものすごーーく苦手意識があったのだが、だんだんお互いに慣れてきて、それぞれの個性に合わせて応対ができるようになってきた。
こんにちはと利用者さんに会って、二言三言(あるいはもっと長く)やりとりして、なごやかな雰囲気を残して「ではまた伺いますね〜」と去る。
この一連の流れを平和裡に行うこと、これは推手だ、とあるとき気づいた。
推手は向かい合って右手を接した相手とかわるがわる圧をかけ合う稽古で、上手にできると相手との間に環状のきれいな力のループが描けるのだが、うまく受けられなかったり、体勢に無理が生じると、乱れたところから崩されて終わってしまう。
「崩されたときにリカバリーする動き」を身に付けるための稽古というよりは、どんな無体な圧を相手からかけられても「崩されないための動き」を身に付けるためのものだ。
師はしばしばそのことを喩えて「最上の野球選手はファインプレーをしない」と仰る。外野フライに対して疾走し華麗にダイブして球をキャッチするよりも、あらかじめ球の落下地点にいて難なくグローブに球が収まるような、地味で印象に残らないプレイのほうが上策だというのだ。
推手も同じで、崩されてどう切り抜けるかより、体勢が崩されている、それが既に失敗なのである。そうなるまでの動きのどこかに誤りがあったのだ。
お弁当配達で言うならば、何かのきっかけで利用者さんが不安や不満を感じたとして、その場の空気が不穏になったところを見事な機転とフォローと会話力でリカバリーするよりも(それができれば、それはそれで素晴らしいけれど)、記憶にも残らないような、当たり前の快適さを提供するのが自分に求められたことだと思う。
穏やかで快適な関係性を、出合いから別れまで維持すること。「平和裡に」とはそういう意味である。
実際のやりとりの解像度をうんと上げて書くと、次のような感じ。
1 「こんにちは」と顔合わせしてその日の会話が始まる。言葉だけでなく、声色や表情や態度からその日の相手の様子を観察する。話題をあらかじめ用意していくこともあるが、その場で相手から投げかけられたアクション(言葉でも態度でも)に応える方が会話が充実する。
2 会話中。こちらが無心でいるほどアドリブがうまく返せる。すごく全身全霊でやりとりできたときは、「細心の注意を払いながら無心でいる」ことができている。相手がどういう状態であるかがすごく大事。相手の動き(言葉や素振り)が、こちらの次の動きを決めてくれる。
3 会話の終わり。話の区切りのいいところでやりとりを切り上げる。これは本当に相手と息を合わせる「共同作業」で、ひとしきり話した後、タイミングをはかって「ではまた来ますね」と言う。利用者さんが「はいありがとう」と応えてくれる。配達件数は日によって違うので、時間に余裕がある時も、忙しく短時間になる時もあるが、短いやりとりでもここがうまくいけば後味がいい。最初はこちらの未熟さから切り上げ方が不自然で、ぎくしゃくしていた。
実際の推手でもしばしば指摘されるのだが、こちらの状態に「硬さ」があると、自爆するというか、うまくいかない。逆にこちらに硬さがなければ、相手が多少「気難し屋さん」であってもそれなりに対応できる。ことの首尾は、相手より自分の状態に大きく左右される。
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私のお弁当配達だけでなく、人が社会で他者と会う機会はすべて「推手」と言えるのではないかとも思う。会って、ふれ合って、別れる。会って、ふれ合って、別れる。その中で、場をうまくコントロールできる巧者もいれば、まずい応じ方でブーメランのように自分が傷つく人もいる。私は基本的には後者である。特に緊張すると硬くなって目も当てられない。まさに「乱された時は既に負けている」だ。
配食の仕事を始めてしばらくは、利用者さんとのやりとりがある意味「恐怖」だった。在宅仕事ばかりしてきたし、社交というものにもともと苦手意識があって、物怖じしていたのだ。
しかしだんだんと、利用者さんとの対話は「自分一人」でするものではなく、「相手込み」ですることだと悟り、関心が「自分」から「利用者さんと二人の場」に移った。で、「これは推手だ」と思ったら、それぞれの利用者さんと展開するその日ごとのやりとりが少しラクになり、やがて楽しみにもなった。推手で向かい合った相手との間に、心地良いループが描かれるように。ファインプレーできる会話力がなくても、注力するところはそこだとわかったから。
まあ、わたわたしないよう準備して行っても、イレギュラーなことが起きて慌てたり、今日のやりとりはまずかった、あれは失言だったと悔やむことも実際には日常茶飯事。それでも稽古だと思えば、変に失敗を引きずらず、次からはこうしようと前を向いていられる。
クレームというものを経験せずに足かけ2年やってこれたのは、私の能力からすれば僥倖だと思っている。
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実技の稽古に関して記しておくと、今年は套路に大きな変化のあった年だった。準備姿勢の立ち方を正されたのである。
長い年月、骨盤を後傾させ鼠蹊部を伸ばして、横から見てしなるように立っていた。お尻を緊張させて下腹部を突き出し、重い段ボール箱を腰で支えるような姿勢だ。(このブログのバナー右の人物も、その要領で立っている。)しなるフレームを作ることで、お尻以外は緊張なく、くつろいだ姿勢を保つことができていた。
それが今年、鼠蹊部が曲がっていないことを師に見つけていただいたのである。鼠蹊部を折るようたびたび指導された。鼠蹊部を折ると骨盤が前屈して、今までの「強いフレーム」が崩れてしまうので最初は混乱した。でも、椅子に腰掛ける途中のような、それが正しいのだった。修正後の姿勢に慣れると、骨盤を立てて立つことが自然になった。頭の重みをすとんと床まで、素直に重力に委ねているような感覚が得られ、今では「立身中正」とはまさにこのこと、という感じがする。
四股立ちの時などに膝が内側に入る「ニーイン」という私の悪癖も、骨盤を立たせることでやや改善する。立ち方は毎日のことだし、生きている限り続くことだから、キリの良いこのタイミングで(今年還暦になりました)直せて良かったと思う。
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還暦といえばつい先日、生まれて初めて人に「おばあちゃん」と言われた。
病院の待合スペースで、居合わせた5、6歳の男の子の視線を感じていたところ、その子が私の近くに来て「かっこいいですね」と声をかけてきた。何だか知らないが褒められて気を良くしていると、次に彼はひとりごちるような、隣の母親に話しかけるような調子でこう言ったのだった。「かっこいいおばあちゃん…」。それは全てをチャラにするような破壊力があり、私は別の人のことではないかと周囲を見回したほどである。
もうすっかり気を取り直した(来年には孫も生まれ、リアルで祖母になりますし)今では、あのとき私が会ったのは、還暦という節目に現れた神様だったんじゃないかという気がしている。
これからは「かっこいいおばあちゃん」という括りでやっていきなさい。
というメッセージを、男の子の姿を借りて私に伝えにきたんだと思う。
というわけで、そんな方向性で、来たる2024年も精進していこうと思います。佐山先生、稽古仲間の皆様、今年もお付き合いいただきありがとうございました。稀なブログの更新を確かめにきてくださった読者の方もありがとうございました。きっと来年いいことがありますよ。
武術ゆく年くる年〜女踊りと韓国舞踊〜
稽古に継続して通われている方ならお気づきと思うが、ここ数年、白桃会の稽古は「踊り」が大きな比重を占めるようになっている。2年ほど前に「ひょっとこ踊り」「おかめ踊り」を師が研究され披露なさったあたりから、発展して「男踊り」「女踊り」の稽古が増えてきたと記憶する。稽古では、兎をかたどった師オリジナルの武器「月兎倭異流刀」もよく使い、漫然と持たず、刃筋を立てるよう指導された。
「男踊り」「女踊り」の動きにはそれぞれに武術的な要素があり、Sのノートには次のように特徴が対比されている。
男踊り
・手と腕で動く
・外に向かって拡がる
・直線的
・足幅を広くとる。外股
・足を踏み鳴らす、跳ねる、瞬発
・撒き散らす、発散する
・「打ち込む」
・受けは、弾いて流れを切る
女踊り
・膝と腰で動く
・体にまとわりつくような動き。得物(あるいは手)を体から遠く離さない
・曲線的、捻転
・すり足、寄せ足。内股(両膝を離さない)
・足音を立てない、跳ねない
・圧縮する、身体の内に込める
・すれ違った後で「刺す」「なで切り」
・受けは、衝突せず吸いつき、流れ続ける
太極拳が滑車やフォークリフトなど、自分に重機の原理を適用して動くのとは対照的に、踊りは人間的である。印象としても男踊りは力強くダイナミック、女踊りは優雅でしなやかで、いわゆる「男性性」「女性性」というものの一表現だと感じながら稽古していた。
(ちなみに私は、かねてより「Sさんに必要な稽古は女踊り!!」と師に断言されている。)
去年の暮れの記事で、私は韓国のアイドルグループ、BTSのジミンのダンスについて書き、「両性具有的で浮遊感のある彼のダンスにインスパイアされながら、来たる2022年、私も「見場の良い動き」というものをますます追求していきたい」などと熱く抱負を述べている。稽古が踊りの方向にシフトしてきたこともあり、振り返ってみれば、抱負通りに「見場の良い動き」を追求して過ごした一年だったと思う。
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今年は、そんな武術の稽古と並行して(というか、自分では何をしていても一つのことをしているつもりなのだが)、韓国・朝鮮文化にのめりこんだ年でもあった。BTSにはまったのも大きな要因のひとつだが、韓国の事物については他にもあれこれと心惹かれるものがあり、きわめつき、夏の終わりに旅行で「日本らしさ」の権化ともいうべき伊勢神宮を訪ねた際、古い神社に朝鮮文化の影響があることを知って、突如、次のような考えがぽとりと落ちてきたのだ。
「今まで自分を生粋の日本人と信じて疑わずにきたが、本当にそうなのだろうか」
「自分のDNA(血?)はもしかして、朝鮮の人たちと繋がっているのではないか」
朝鮮のものを「良い」と感じながら眺めるとき、欧米のものを「良い」と感じるときとは違う、近親的な感覚を覚える。そう気がついて調べると、司馬遼太郎が日本人と朝鮮人について、ともに大陸の騎馬民族を遠祖とする「じつに身近な近縁のひとびと」なのだとわかりやすく書いている(『日本の朝鮮文化』中公文庫)。ああ、それでなんだか「他人のような気がしない」んだなあ…と妙に得心したのだった。半島から渡来した人との混血が進んで今の日本人になったのなら、その感覚もあながち思い過ごしではないだろう。朝鮮の人と自分とは、本来、「彼我」というよりは「我々」と考えたほうが自然な間柄なのかもしれない、と今では思っている。(もちろん、近いからこそ差異が際立って見える、ということもあるのだが。)
隣国についての認識が改まったことは、自分にとっては、思い込みのタガが外れた、一つの「アイデンティティの拡張体験」だった。
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そして、そうした認識の拡がりや「女踊り」の学習意欲が共に働いた結果、私はいま、韓国文化院というところに通って韓国舞踊を教わっているのである。傷めている左足が思いのほかハンデになり、苦戦しているが、行くたびにいいことを学んで帰ってくる。
まだ始めて数か月で、技術的なことはとても書けないのだけれど、これまでに得た韓国舞踊についての知識を列挙すると:
・静の中の動。陰の中の陽。一見相反する要素が動きの中に潜んでいる。「宇宙がこの中にあるんだよ」と講師の先生は舞いながら仰る。
・足運びは外股。爪先をもち上げ、かかとから着地して踏み込む。ここから浮遊感のある上下動が生まれる。
・手や腕は、手首先行で動かす。「∞」を描くように手首を使って、曲線の動きを作る。
・呼吸と動作が連動し、途切れない曲線的な動きになる。「手を上げる」のではなく、息を吸って体を伸ばすから「手が上がる」。
・4歩でターンする動作では「カムサハムニダ(ありがとうございます)」と心で神様に感謝を捧げながら歩く。「見せてやる心」でなく「捧げる心」で踊っている(のが素人にも見てとれる)先生が美しい。
講師である女性の老舞踊家は、「覚えなきゃいけないことはたくさんあるけど、それを身に付けてしまえば、何をやったっていいの。何でもできるの。全部が踊りになるんだよ」と、わが師が常日ごろ武術について語るのと似たようなことを仰る。「動きを真似する時、生徒は先生よりも速く動いてはいけない。必ずゆっくり動くこと」と、学ぶ(真似ぶ)ときのコツも教わった。
韓国舞踊を習っていることを師に話すと、師は『ファン・ジニ』という朝鮮王朝ものの韓国ドラマを教えてくださった。踊りを生業とする「妓生(キーセン。日本でいう芸妓)」が主人公の物語で、面白く、勉強にもなった。今は『チュノ』という、やはり時代もののドラマを教えていただいて、楽しく観ている。プライムビデオから目が離せない年末である。
「異端の弟子」「同流他派」などと評しつつ、教え子の学びの進捗を(生)温かく見守ってくださる師に、今年も感謝を述べて締めくくりとしたい。武術の問いは常に「あなたは何者か」であると師に教わり、そんなこと考えたこともなかった頃より少しは自分について知ることができたけれど、知るほどに、自分とは「もっと深く、もっと未知なもの」なのだろうなあという思いを年々深くしている。
一年間ありがとうございました。稽古仲間の皆様も、どうぞ良いお年をお迎えください。