弟子のSです

武術の稽古日誌

視点について

武術交流会に参加し、すごい人を見て、私なんかダメだぁといじけて帰るだけじゃ何回参加しても同じだろうっ!ドン!と、自分に活を入れてみる。

交流会の翌日、師に「私が特別身体が大きい訳じゃないとわかったでしょう?」と言われたのだ。

ああいう場でわかるべきは自分のダメさ加減ではない。特別身体が大きい訳ではない師が、他とどうやって渡り合っているか。師が何をもって強さと考えているか。交流会とかでは、自分中心の視点から離れ、師の視点がどこにあるか、など、もう少し次元の高いことを観察していきたい。

合気会の稽古に出ていた時も、「私が私が」という視点でしか関われなかったことを師は批判されたんだと思う。師の弟子と公言して武術をやっている以上、武術のことで他と関わる時、私は、師の名代である。少なくとも、師は、教える立場にある者として弟子の恥ずかしい振舞いは自分の恥だと思っておられるはずだ。

私には武術的に人を見る目がない。誰がどれくらい強いのかがわからない。生物として壊れていると師は言われる。師の視点でものを見ることができなければ、そうできるように、それに近づくようにすること。そのために稽古があるんだろう。私の目が、私の目であると同時に師の目でもあるように。その目がなくてどうやって、自分の中の武術が彫り出せるだろう。

師と親しい人と話すと、その人が師と視点を共有しているのが感じられる。視点を共有していながら、どの人もそれぞれ存分に個性的である。そういうのっていいな。私もそうでありたい。

・・というわけで、家族と楽しむGW後半。筋トレをすませて、さぁみんないつでも起きてこい。皆さまもよい連休をお過ごしください。