弟子のSです

武術の稽古日誌

暴力について1

最近見た映画や読んだ本が、思いがけず凄惨な暴力の描写のあるものばかりで、以前だったら「おーうっ」と感性をオフにして凌いでいたところが、今の私は曲がりなりにも武術をやっていて、それは人を殺傷する技術なのであるからして、そうした暴力を対岸の火事、自分には無縁のものとしてはならない。暴力から目を背けて常在戦場もへったくれもないだろう。そんな風に考えて踏ん張っているのです。

人肉を食べたものは首の後ろに光の輪ができる、という話が武田泰淳の『ひかりごけ』にありますが、人を殺傷するというのもそれに似た「一線を越えた」行為でしょう。でも、歴史の教科書を見てみても、人間の営みは暴力抜きでは語れないほど。

世界はそのように不穏なものだと頭では知っているけど、直接火の粉がかかるまではなんとなく思考停止して過ごしてる。そんな私が、自分が丹精してつくった小さなお花畑のなかで「とにもかくにも斬る」とか「相手の目を突く」とか言っている。これが欺瞞でなくて何だろう。

そこにいくと師は矛盾がない。何も持たず、戦闘に対して常にアイドリング状態でいる印象がある。私は矛盾だらけ、だけど、ああ、武術は楽しい。何なんでしょうねえ。

この項つづく。考え中。