弟子のSです

武術の稽古日誌

今日のお稽古

武術90分。マンツーマンで組手30分+子供空手教室におじゃま。

夏の自由研究「師の懐はなぜ遠い」の中間発表だった。何を心がけたかというと

1 直進で突破しようとするのでなく、円状に動いて脇から懐に入る(腕を差し込む)。「コンタクトしないで懐に入る」にはそれしかないと考えた。構えると体が左に向かって開くので、相手の右に回り込むようにした。

2 いつも片手は頭を守っている。

3 腕だけ足だけで何とかしようとせず、肩・腰・ひじを使う。隙をついて脇から体当たり(靠・コウ)でやっつける。

4 蹴りは外しさえすれば重心も不安定になっていて、中に入る好機である。怯まずよく見て、後退しない。

結果から言うと、全然ダメだった。

1 私が回ると師も動く。師を中心とした円では私がいくら大急ぎで移動しても師はいくらか角度を変えるだけで対応できてしまう。さらに、私が右回りに動くと知れた途端、師は構えを逆にするのだった。

2 まだ習慣として身についていないので気を抜いた途端にやられる。あと、腹を守るのがおろそかになりがち。

3 1のような理由で、そもそも師の脇がなかなか見えてこない。正面からコウをかけたら擠(ジー)で返された。

4 楼膝(ろうしつ・ひざ前で蹴りを払う)がうまくできれば蹴りに怯まず対応できると思うけど、何もせずに下がらずにいれば打たれるだけ。触れると痛い球が迫ってくるようだ。それでも今日は蹴りを控えていて下さったようだが。「コンタクトしまくりじゃないですか」。

周回運動のせいか、いつもの数倍息が上がった。のどから心臓が飛び出そう。

空手教室は内容は面白くていいんだけど、男の子という種族の扱いに今ひとつ慣れず、むしろ保護者さんと稽古したい。なぜちびっこはあんなにもまっすぐ人を見るのか。師も子供はキライだとか仰るけれども、私から見ると人にものを教える血筋(師のお父様は小学校教師)だなあと思う。

稽古後の座学で自由研究についてアドバイスをいただく。といっても非常に抽象的な内容。

武術に必要なのは「想像力」「感受性」「論理力」の三つだという。(武術は基本的に右脳でするもので、左脳の仕事は従属的なものにすぎないように思うと先日木村先生も仰っていた。)私の組手は頭でっかちである。私が抽象画を好きなことを師はご存知だが、抽象画がわかる感受性を持っていながら、こと武術になるとなぜ頭や言葉で考えようとするのかと。

蘇崑崙の言葉を借りれば「全身全霊」を使って入れということかしら。だからと言って何をどうすればよいものやら・・・家に帰って考えなおしだ。とりあえず拳児の続きを読んでと。

くだらない話ですが「拳児」って何度打ってもパソコンが覚えてくれず「拳闘児童」と打ってから二文字消す、という地味な手間暇をかけてます。