弟子のSです

武術の稽古日誌

♪どこまでいっても長い道〜

「●麗●●(●は思い出せない漢字)」という套路の用法を教わるんだけどどうしても覚えられない。そんな套路あったっけなぁ??と首をひねっているうちに、まわりはどんどんできるようになっていく・・という夢で目が覚めた。ごそごそ起きて三十七式の名称を確認する明け方。

それはさておき、稽古で使う木刀が重すぎる件について、宮本武蔵もこのように:

人ごとに初めてとる時は、太刀おもくて振廻しがたき物なれども、よろず初めてとり付くる時は、弓もひきがたし、長刀も振りがたし。いづれもその道具道具になれては、弓も力つよくなり、太刀もふりつけぬれば、道の力を得て振りよくなる也。(『五輪書』地之巻)

すごいなあ。

何がすごいって、師が武蔵と同じことを言っているのがではなく、時代の違う二人が別々の道を通って同じ知見に到達する、武術というものの矛盾のなさ・無謬性がすごい。師や武蔵ばかりではない、武術をやっていると何かのことで、羽生善治が、木村先生が、兄弟子が、たまたま出会う文章が、同じ一つのメッセージを発していると感じることがある。それを受け取って正しく組み立てられない、体現できない私がいるだけ。

・・と無闇に感動していますが、既に同じことを去年から何度か師に言われていました。

すごいのは武術であって、それを論理的に追っていけば、国家や人種、時代や流派を超えて、ほぼ同じデザインの思想に集約されていくのだ、という武術のもつ普遍性です。

言われたことを半年とか1年かかって理解して、しかも、そこがゴールじゃなくてスタートラインだという。