弟子のSです

武術の稽古日誌

人のふり見て

「諦める」の語源は「明らむ」、物事を明らかにすることなのだそうだ

稽古仲間に私に似た思索先行型の人がおり、同類と憎からず思っているのだが、傍から見ていて、うーん・・。しのごの言わずに動いてみろ、とアドバイスしたくなる気持ちはわかるかな。

弟子になるということは、道を歩いて右に逸れれば「左に行け」、左に逸れれば「右に行け」とただひたすら師に注意されるだけの存在になること。それなのに褒められたいとか、認められたい気持ちがなくならないからつらいんだ。つらさの本体は、情けないほどベタな感情だ。