弟子のSです

武術の稽古日誌

季節のお惣菜

師のブログの新しい記事を読み、若竹煮について考えた。

師は教わる側の姿勢として「さかしらな人」と「何も考えていない人」を以前より挙げておられるが、私自身は後者なのかなと思う(それにしても師の仰ることって本当にいつも同じだ・・)。

>なんにも考えていない人は、そうなんだー、と毎日、延々と同じタケノコと若布の煮物を作り続けます。

若竹煮はおいしくて飽きなくて最強だから、日本人に生まれてよかったから、まっとうな若竹煮が作れれば私はそれでいいんだ。森の妖精風をほしがったりはしない。しかし、素材は水煮のタケノコやカットわかめじゃ絶対だめだけど、だからといって料亭に出せるような若竹煮を作りたいかというとそうでもないところが私の詰めの甘いところなんだ。手軽においしくできれば合格点、ここまでは手を抜いても私の味覚に影響しない、そういうカジュアル感覚というか「こんなもんでよかろう」の精神でやっていると、晩のおかずはできても芸術にはならない。武術に顆粒だしはない。

足りないと明確に指摘されているものがあるのだから、それをやろう。五指の張り。不随意運動。組手につなげる意識をもって型や基礎鍛錬をすること。

立川談志のお弟子さんの書いた『赤めだか』という本を読んでいる。赤めだかとはいくら餌をもらっても育たない金魚のこと。出来の悪い弟子のメタファー。談志師匠の言葉が沁みる・・・

私の師匠はどうしておられるかしらと恐る恐るツイッターを覗けば

https://twitter.com/doranekocompany/status/465706376107278336

何なんだろう・・・