弟子のSです

武術の稽古日誌

景色のいいところに出てみたら

「・・ただ、ひとつのことを私はあなた方の心構えに申さねばなりません。あなた方お二人は、この歳月の間にすっかり変ってしまわれました。これは弓道が、すなわち最後の深みにまで達する射手の自己自身との対決が、もたらしたものであります。あなた方はこのことを恐らく今までほとんどお気づきにならなかったでしょう、が故国で友人知己に再会されると、どうしても感づかれることでしょう。もはや以前のようにしっくりしないのです。あなた方は多くのことを別の目で見、別の尺度で測ります。実際私にもその通りだったのです。そしてこれは、弓道の精神に心を打たれた人には、誰にでも迫ってくることなのです」(『弓と禅』) 武術を始めて2年半経って、私はちょっとだけ前とは違う場所に立っていて、ちょっとだけ・・否、だいぶ・・前とは違う景色を見ている。 それは喜んでいいことだと思うのに、実際いつもは喜んでるのに、友達と会うと、そのあと何だかさみしい。 「多くのことを別の目で見、別の尺度で測」る自分がいて、友達と「以前のようにしっくりしない」。女で主婦で中年で、っていう「属性がしっくりする友達」と、武術の精神に打たれた「心がしっくりする友達」が一致しない・・・ たぶん中途半端に自由だから、あるいは自由の味だけ知って私自身はなお不自由だからだと思う。きっと今だけだと思う。 なので師は叱らないでください