弟子のSです

武術の稽古日誌

今日のお稽古

大塚にて武術30分+幼児空手。師が先に来ておられ、出窓に涅槃仏の如く横になっておられた。

呼吸。

あごを引いて息を吸うと、頭頂部が天から吊られたように上に伸びる感じがする。足裏をぴったりと床に着けて息を吐くと、どっしりと安定する。こうして天—人—地がつながる。吸った状態の人は持ち上げやすく(軽く)、吐いた状態では持ち上げにくく(重く)なる。個体の重量に変化がある筈はないのだから、術の不思議というか、重い物を筋力で持ち上げる鍛錬とは別のことをしていることが実感される。

まず、何をしてもどこに居ても大丈夫な自分をつくることです。

武術を通して私が学んでいるのは居方・立ち方・歩き方・・。組手もそれを稽古するための手段であって、いい組手をするもしないも、組手を稽古の目的とか上達の目安にすること自体がそもそも間違っていたように思う。

地とつながる立ち方。対人で押し合うのも力が釣り合うと、地—自分—相手—地と、二人で四本足のテープルのようになる。息を合わせる、力を合わせる、それは相手と「つがい」になるようなもの? その関係性を敵との間につくる、というのがやっぱりまだよく分からないんだけれども、

激しく叩きつけるように投げるとかからない技も、自分自身を扱うように優しく掛けてあげるとすんなりかかる場合があります。相手の危険本能が働かないからです。

ということで、倒す意図を優しさというオブラートに包むところが師の武術の滋味だ。

立ち方をやったあと、吸う息・吐く息に合わせて起勢、歩く、技をかける。

幼児空手では久しぶりのMくんを相手に、自分はやはり呼吸を意識しながら稽古する。相手の攻撃に対して受身をとるのも、息を合わせることが重要になる。鍛錬で相手の息が読めるようになるのだろうか。

吸って相手を持ち上げ、吐きながら落とす。四股を応用した技やココナッツクラッシュなど。

Mくんは師と私とを代わる代わる相手に、各1分の組手を続けざまに6本こなした。テンションが低くいるのも大事な居方かもなあと思う。私は投げの組手を師と1回しただけで息を乱している。

座学で「トマトのカルパッチョ」をおいしく食べたのはいいが、話の内容を書き留めたノートをお店に忘れてきてしまった。「大事なのは愛」とか「天地人」とか「もぐら?」とか書いてある。