弟子のSです

武術の稽古日誌

今日のお稽古

護身術+太極拳。「一体化」

合気上げを三つの視点から、ふたたび。vs自分、vs相手、vs場。

相手との接触点(握られた手首)の隙間をなくすという稽古をした。骨が当たらない角度を探ってぴたりとフィットすると、握り込んだ刀や棒が手と一体化して持っている感覚がなくなるように、相手との断絶がなくなって動かしやすくなる。

交差術では蹴りを受け流して裏に入り「肩引く+腰押す」で倒す(落とす)、というのをやる。蹴ってきた相手と対峙する!というのでなく、するりと侵食する感じ。相手の重心が斜めになったところを下に落とす。めりはりをつけない・力まない。相手に抵抗させたら失敗。

腰に手を当てて歩かせる、というのもやった。うまくいく時は、接触点での相手との境界がにじむような感じがする。

接触点に真っ向から力を加えない、滑らすように弧を描くというのは、例えば前受け身で、両手で三角を作って床に倒れ込むとき、手を真上から床に落とすとバーンと派手な音がして痛いけど、床に当たる瞬間に手を気持ち前方に滑らせるようにするとソフトに着地できる、あれと似てはいないだろうか。床に気持ちがあったなら、前者では「いてーな」後者では「ん・・?」と思うだろう。

「一体化」については師から前日の記事宛に次のようなコメントをいただいている。

「箸を手の延長にする」、と考える人はまだ箸を支配してやろうという自分本位が強すぎるし、「自分を箸の延長にする」だと主体性がない。箸と手はごく当たり前に意識にも上らずに結びついている。

「一体化」と「一体」とは違うのかな。うん・・違うんだろうな。ある部分がわかったと思うと、またわからないことが出てくる・・・

単推手もやった。息を吸いながら胸元でしっかり相手の力を受け入れ、軸がぶれないように回転して受け流す。吐きながら力を相手に返す。誹謗中傷を例にとり、師は次のように説明された:

「ハゲ」(相手から力が加わる)

「そうだよ、ハゲだよ」(ふところ深く受け入れる)

「でも」(受け流して翻す)

「おまえもいつかは」(相手に返す)

「おまえもいつかは」が反撃としてやや頼りない気がするが、反撃の切れ味云々は言ってしまえばどうでもよいことだ。胸の真中心で受け止めて「でも」と返せる強さにしんから憧れる。