弟子のSです

武術の稽古日誌

タオイズム

スマリヤンというアメリカの数学者の書いた『タオは笑っている』。夏に遊行で行った西荻の古本屋さんで買ったもの。タオイストと非タオイストとの対話はコジコジと次郎君とのそれに似て、無心な苛つかせ方が漫才のようだ。勝手に煙に巻かれ、勝手に業を煮やした非タオイストが「でも、だって、じゃあ、要するに、とにかく」と健気に応戦する様が涙を誘う。原題は「タオは黙っている(The Tao is Silent)」。タオイスティック、という言葉の語感を自分がわかることが嬉しい。 辞書にはタオイズムは「老荘哲学(思想)・道教」とあるけれども、老荘思想道教はイコールではない。私の、そしておそらく著者のいうタオイズムは禅との親和性の高い前者の意味合いが強いと思う(ガイジンは禅が好きですからね、という師の台詞が聞こえてきそうだ)。道教、さらに太極拳とのつながりの理解はまだこれから。師のブログにもいくつか関連の記事がある。 http://doranekodoradora.blog123.fc2.com/blog-entry-283.html これ(S注・師の太極拳が自力で動かないこと)は、自分で動くことをを完全に放棄した時に初めて勁道の存在を実感できるという逆説的な発想で、体が自然現象で勝手に動く流れが勁道である、という考えです。それを地下水脈をダウジングで探すように探っていきます。道が自分自身であるなら、自分の中を開拓することが道を拓くことになる。 だから一人で何もしないをするのだ。「道」=タオ。 本の中に「全身全霊で何もしないをする」の例が出てきて、私のブログもそれかもしれないと思った。