弟子のSです

武術の稽古日誌

がけっぷち

師「なぜ毎度毎度同じパターンでやられてもノーガードで泣きながら打たれ続けているだけなの?よけるか反撃するかしたらどうなの?」

私「よけるか反撃するかします。つらさの元を断ちます」

師「あなたのつらさの元は何ですか? 敵は何ですか?」

私は、また、あぶないとこだった。師に軌道修正された。

師が武術を始めたのは中学時代のいじめがきっかけだということだが、その時憎んだ対象は(私が驚くことには)いじめっ子ではなくいじめられている自分自身だったという。何もできずにいる自分を変えたいと思った。「当たり前でしょう」。「武術をやっている限りは、敵は常に他者ではありえない。落とし穴に落とされたら、憎むべきは穴を掘った相手ではなく自分の甘さです」。

師のよく仰る、弱い自分を憎んで叩きつけろっていうのは、それが武術家というものだからで、問題のキーマンを自分と捉えられるか否かが武術をやっている・いないの分岐点なんだ。棒立ちで打たれて苦しくて惨めで、もう無理、耐えられないと思う時、私はなりたい自分よりも苦しむ自分を守ろうとしている。「敵は弱い自分です、当たり前でしょう?」と言えない私には武術家の「回路」がない。後付けで、意志で回路をつくらなければならない。敵を間違えるな。

武術は「生きるか死ぬか」だ。ほんとうだ。