弟子のSです

武術の稽古日誌

武術ゆく年くる年

2014年。振り返ると、どこを切っても金太郎飴のように苦悩していて我ながらあきれた。
1月〜3月 思索に走りがちな態度を戒められ、研究的な態度で臨めと言われ続ける。 「どう思うか」「どうしたいか」、ではなく、「どう思いを伝えるか」「したいことをどうすれば出来るか」、というhow toの部分、実務の研究が武術家の役目であって、それから離れた思索は本来の範疇ではありません。
4月 太極拳教室のお花見。怪しい天気の中を決行。気で雲を払おうとする師が受け入れられない。「あなたは私を偶像化して、勝手に失望している」。気について、ひいては中国の思想、東洋思想について知ろうと思う。仏教の本がマイブーム。
5月 ふくらはぎの打撲から筋膜炎を起こす。治るまで1か月かかった。 弟子とはひたすら師に注意される存在だと頭では理解していても、褒められないことで無価値感や劣等感が募る。ウンコみたいな悩みだと師にはばっさり。稽古しろ、武術をやれと繰り返し言われる。 内観して、価値判断しない。集中し、熱中しない。
6月 師にお願いして東洋思想の講義を受ける。タオの概念を知る。 研究的な態度がない、稽古を貪っているとして師と稽古できない状態が続き、基礎鍛錬ができる場を求めて近所の中国武術サークルを体験。弟子でいながら他流に基礎鍛錬をつけてもらおうとする依存的な態度を叱責される。
7月 この時期、2回交流会に参加するもあいかわらず心がつらく、やめると師に伝える。引き留めてほしいという狡い期待があった。叱責されて自ら撤回するという、もう、プライドも何もない状況。
8月 大柄なYさんが新加入。白桃会の動画でおなじみの瀬尾さんが金曜稽古に参加することに。以降4か月、幼児空手と子供空手にも参加させてもらい、金曜は4コマ4時間という長尺の稽古になった。
9月 太極拳についての本を作ろうと師と発起するも山あり谷あり。叱責されて反抗したり、落ち込んだり、泣いたり。感情と意志とのせめぎあい。プライベートでは次女が大学近くに部屋を借り家を離れる。これを端緒に娘たちの母親離れ家族離れが進む。
10月 単推手についてこだわりまくる。単推手を制するものは人生を制すると思う。
11月 自分が以前より弱くなった、悪くなったという気持ちが日増しに強くなる。確信的にわかっていたことすらわからなくなり、精神的に疲弊し、第三者に相談したいとカウンセリングを受けることを考える。師「自立を求めているのに、依存する気満々じゃないですか」結局やめた。 わかっていたのがわからなくなったのではなく、わかっていたつもりで全然わかってなかったのがわかっただけです。
12月 私の修行が進まない理由について、師は私の、物事を正しく関連づける能力の欠落を見出されたという。関連づけるべきものをしないで、逆に間違った関連づけをしていると。 私「先生ってすごいなあ、と、私はすごくないをどうやって切り離すのですか。それが事実なときに?」 師「私がすごいのとあなたがすごくないのは無関係な事象じゃないですか。そこはつながっているんじゃなくて、あなたがわざわざつないでいるんです。それがまちがった接続だから、拒否反応、危険信号として苦しみや劣等感が発生している。だからSさんははたから見ると苦しむのが好きで、趣味で苦しんでるようにしか見えない」 護身と保身は違うし、治療と鎮痛も違う。あなたは今ががけっぷちです。
ひざのケガに興味が集中していた去年とちがい、苦悩に実体がないというか、ありたい自分とのギャップに苦しみ、満たされず、いい歳をして「それに比べて私は」と延々と悩み続けた一年だった。師は根気よく付き合ってくださり、こうして振り返ると改めて(初めて?)感謝の気持ちが湧いてくる。直近のコメントで昨今の状況を整理してくださってもいる。年の終わりに武術は礼儀作法だと気づいたので、来年は師の愛に礼をもって応える努力をしよう。 本年の宿題リスト: 「套路の動きを自分の言葉で表現する」。太極拳の理を梃子・万力・歯車・・などの動きになぞらえて表現するというもの。 「観る目で観察した時、構えというのは何を表すのか、また空手の四種の受けの本質は何か」 「一対一の戦いでカオ(靠)は何のためにあるか」 当ブログのアクセス数は1日200〜300、訪問者数は40〜45人。リンク元はブックマークされている方が大半、それから、私はしていないのですがmixiからのリンクで来られる方がわりといらっしゃいます。検索のキーワードは「前十字靭帯損傷」を筆頭としてケガ関連でサーチされて来られる方が多く、「太極拳」「套路」などの武術用語も。たまに「佐山史織」「白桃会」。 読んでくださってありがとうございました。皆様よいお年をお迎えください。