弟子のSです

武術の稽古日誌

今日のお稽古

護身術+太極拳

時間ギリギリに行ったのでわからないが、時間前の雑談で体の痛みを訴える生徒がいたのか、ボディワークから入る。ペアになって首回し、腕回し、肩回し、鼠径部と臀部の指圧。施術される側は力を抜いて委せきること。施術したあとは程度の差はあれどの人も身体が柔らかくなる。

私の身体はガッチガチだ。特に上半身。冷えも半端ない。自覚症状もあるがそれ以上に、人に驚かれるのがいつもこちらがいたたまれなくなるほど。稽古の甲斐がないというより、稽古のおかげで何とか未病で過ごせているんだと思う。

稽古では、塔手(推手を始める時の、片手どうしを合わせた形)から腕を取るバリエーション/腕を取ってから投げるバリエーション/技をかけられる側の外し方。

そうさせまいとする相手の腕を力に頼らずに取るには、抵抗・反応させないこと。なめらかに事を進めること。一例として差し出した拳を師が両手で掴みにくる、というのをやった。勢いよく捕まえにくると逃げやすいが、逃げるきっかけのない侵食するような迫り方をされると、知らないうちに掴まれている。

太極拳

・提手で無理なく片足重心で立てる位置を探る。「無理なく」とは筋力の負担が最小限であること。重力に逆らわない骨格の積み上げ方、つまり楽な姿勢を各人見つける。

・単鞭下勢から上歩七星に移る時の、片方の拳で前方へのタオを作って立ち上がる動作を稽古する。十字に交差した後ろ側の手が推進力のキモになるのだが、以前は力で押し出していたものが、今はより意識の方にシフトしている。

幼児空手教室。落ち着きのない子が少しずつ、薄紙を剥がすように変わるのが見てとれる。師は4歳児にも成人に対するような物言いで対する。「君はどうしてお母さんが教室の外に出ているのかわかる? お母さんがいると君が集中しないからだよ」こっくり頷いて、また忘れる。また諭す。こっくり頷いて、また忘れる。

一人の子が私をまっすぐ見て「ぼく消防士なんだよ」って言った。消防士なのか。

稽古後のよかったことは瀬尾さんのはからいで、行ってみたかった東小金井のカレー屋さん「インド富士」に行けたこと。

悪かったことは帰りに寒さで手足がかじかんで自転車に乗り損ね、転んで靭帯の切れてる方のひざをしたたか打ったこと。別れる直前まで師に叱られていたから、ついでにわっと泣きたくなった。

叱られているのは、師が「あなたにはできる(可能性がある)」と思って教えたり、させようとすることを、私が「自分にはできない」と言うことだ。人間は望めば無限の可能性があるけれども、それは意志あってこそで、そもそも可能性を否定するなら教える意味も教わる意味もない。私のこの、自分は劣っているという強固な価値意識・・優性・劣性への囚われは、ほとんどレイシストのそれだと言われた。あれもこれもそれも問題で、こんな弟子いるかしらと思う。