弟子のSです

武術の稽古日誌

男子一年会わざれば

確定申告の書類作成で青色申告会へ。待ち時間に岸田秀を読む。ある価値観に強迫的かつ無自覚に囚われ、葛藤に苦しんでいたご自身の経験を語られている。以下要約。

ある価値観に対する自分の服従的傾向は、その価値観の正当化を前提とする論理構造に支えられており、したがってこの前提、この論理構造を崩さない限りは克服できない。それらの前提や論理構造は無意識的なので、崩すためにはまず意識化する(S注:師いうところの「認識外の領域を認識する」と同義と思われる)必要がある。意識化し目の前に据えて初めて批判的に検討できるのだから、無意識を意識化することが治療の根幹。(症状を超克する、いわゆる行動療法などの)訓練の問題ではなく、論理と認識、その意識化の問題です。

ぼくがこのような自己分析から得た結論は、人間の心というものは衝動や感情から成り立っているのではないということでした。衝動や感情は材料に過ぎず、それらの材料を用いて心を組み立てているのは論理です。人間の心は一つの論理構造なのです。

ぼくが解放されたのは訓練によってでなく、結局、葛藤の原因を理解したからです。

自分のゆがんだ認知構造を変えていくために、専門の分析者にかからなくても自分でこのような認知療法をやってみてもいいわけです。認知構造とは大げさに言えば世界観です。この世界をどう見ているか、人生をどう思っているか、人間としてどう考えているか、というものの見方・考え方の問題です。自分の認知構造を理解し、変革するのに3年かけようと10年かけようと、労力がもったいないとか時間がかかりすぎるということはないと思うんですけどね。老化して石頭になるまで続けたっていいわけですよ。(『なぜ日本人はいつも不安なのか』)

武術も治療的な側面をもつが、それは行動療法でも認知療法でもあるようだなあ、とか考えているうちに順番が来た。

担当の多分アラフォーの税理士さんが一年会わないうちに見事な二重アゴになっていて刮目する。