弟子のSです

武術の稽古日誌

あなたの疑問にお答えいたします

今日は師が目下の疑問点についてまとめて対話するという時間を設けてくださったのだが、話に集中するほどに身体や場所から放たれて、「それ」が鏡を覗くように「それ」と受け答えする、みたいな透明度の高い状態になり、対話にも「ゾーン」というのがあるんだなあと後から思った。推手と同じで、たぶん今は師がうまくチューニングしてくれるからそういう気持ちの良いことが起きるんだと思う。双方向になるように歩んでいきたい。

師のブログの記事から。

トンファーとは何か。トンファートンファーです。もっというとトンファーですらありません。「これ」です。これはこれでしかありません。This is thisです。It is it。それをトンファーと呼ぶ人や槌と呼ぶ人がいるだけです。

これが、世界と自分が同じものであるという考え方にもつながります。

最後の一文がわからなかったのだが、トンファー実相(実際のありよう)としては一つの「これ」に過ぎないように、存在する全てのもの、起こった全ての事象は「これ」でしかない。「これ」は価値というものを持たない。「これは〜だ」と、人の知覚がそれに価値を与える。つまり価値とは認識であって実相ではない。悲しい人の目にうつるそれは悲しく、楽しい人の目にうつるそれは楽しい。美しい人の目には、世界は美しくうつる。

「世界=自分」とはそういうことだ。

だから固守すべき価値やらプライドがそこに確かにある、と考えるのは人間の知覚の大きな勘違いだということがわかる。少なくとも手段の専門家(アスリートとか武術家とか)にとってはなんの腹の足しにもならないものだ。

スケーターは回ろうとする。花は咲いている。ううううう。