弟子のSです

武術の稽古日誌

考えない稽古

あなたがせっせと考えるほど牢獄は強固になり、あなたは動けなくなる。太極拳は「何もしない」をすることです。

思考はあなたが勝手にしているだけです。だから太極ではない。

文章はやたら推敲して考えに考えて書くタイプで、それはそれでいいこともあるのですが、同じ書くなら考えない方が武術的には推奨されるのではないかと、稽古半分という感じで、最近は気が向くとツイッターに書き込んだりしています。ツイートするのはどこかに遊びに行ったり、くつろいで何も考えていない時だけですが、ブログが「公」ならツイッターは「私」という感じで、知能が低いのがバレるようなことしか言ってません。1日は24時間しかないし、考え込むようになったらやめようと思っているので、これがほんとの、ウスバカゲロウのようなアカウントです。

考えない稽古としては、ほかには、

呼吸は考えなくてもします。呼吸は太極です。

心臓は放っておいても脈打ちます。命は太極です。

星々は意思なく運行し、時間は流れ、生き物は生まれ死んで行く。

これらはどこにも主語はない。

言語も意思もない。

なのに完全です。だからこそ完全です。それが太極です。

この言葉に触発されて、何もしない自分、「do」でなく「be」の自分がどんなかを、こないだ横になった時につぶさに観察してみました。どんなだったでしょうか。

呼吸。脈のリズム。血が通っている(温かい)。耳が車の走行音を聞く。鼻が枕元の精油の匂いをかぐ。皮膚が衣類のテクスチャを感じる。想念情念が渦巻いている(お腹すいたとかあのことは面白くないとかあれはああしようとか)・・・

内田百閒は夏、自分が生きているのは腐敗を防ぐためだと書きましたが、じつに、生きる一個体としての自分は粛々と生命維持活動を行っている。感覚器がそれぞれ働いて信号を脳に送っている。それだけみたいです。渦巻く想念情念というのが居所のよくわからないくせものです。

これを内観というのか・・・・・。