弟子のSです

武術の稽古日誌

「道」と「術」

新宿スポーツセンターは改築のため11月1日から来年3月31日まで休館です。これから冬なのに稽古場所はどうなるんだろう・・。月曜日は毎週のようにスポセンに通っていたが、そんなわけで今日は家にいて考え事などしている。雨が止んだらDVDを借りに行こう。 さて、私がやっているのは武道でなく武術である。そう言うとき自分は何を区別しているのだろうか。「術」は「道」とどう違うのか。これを今日は考えてみましょう。 日本語の意味を調べるには和英辞書が助けになる。言葉の意味を解体して英訳するからだ。研究社刊のニューカレッジ新和英中辞典によると、
「術」:技術(art, technique)手段(way, means)たくらみ(trick)魔術(magic)
「道」:踏むべき道(the path of duty/virtue)義務(duty)道義(moral principle, doctrine)真理(truth)正義(justice)
師も仰るように武術はあくまで実用品である。「術」という語には、進むとか極めるといった「道」にあるような漸進的なイメージがない。敵に対処するという一回こっきりの使用場面において、術には「1(できた)」か「0(できない)」しかない。擬似的にその場面をつくり、または死なないまでも対処を求められる場面で、0が出たらそれはまずいやり方だから次から対策を練る、修正するというのが稽古だ。 師は以前「Sさんの言う真理は信仰だ」と言って私を驚愕させたけれど、同じ意味で「道」は信仰に属するものである(大事なのは、それが「道」の価値を貶めるものでないこと。もっと言うと価値も信仰・幻想であること)。「術」という立場は幻想を排除し、徹頭徹尾実相(実際のありよう)だけを扱う。「道」に喧嘩を売っているわけではない。そういう性質のものだということだ。 私が師から教わった内容にてらせば、生物の歴史は生き残りを賭けた進化と淘汰の歴史で、それはその種の武術の歴史そのものである。つまり生き物は生きようとするかぎり武術せずにはいられない。師がなにかと武術が滅びることを憂えておられるのが私には不思議だ。人間の武術が滅びるのは人間が滅びるときだけで、それまではまずいやり方が廃れるだけのことだろう。私の頭の中では、師から教わった理屈により、武術は滅びないということになっている。 あるいは師は人類の絶滅を憂えておられるのかもしれない。だとしたら私は人類の一員として、滅びないようにせっせと精進しよう。ということで、論理的帰結として、大牛くんはえらい。