弟子のSです

武術の稽古日誌

武術家二人の対話

古流武術の伝承・指南を行っている剣術の達人と師との対話を音源から聞く。文字起こししながら聞いたらやたら時間かかった。
「武術家同士の交流が馴れ合いを避けるには、同意見の人より、同問題に別アプローチをしている人と交わっていくこと」と師の仰るとおり、問題意識を共有するお二方の、スタンスの違いが対話をおもしろく意義深いものにしている。弟子たる私にとっては、対比により、師が何者か(私が修めようとしているものが何なのか)を理解する助けになった。

私は気安いおしゃべり以外は滅法話し下手なので、剣術家の理路整然とした話しぶり、 言葉の選び方に感服した。人柄がベースにあるのはもちろんだが、こんなふうに自分をアナウンスできる人はいいなあ。聞き手としても痒いところに手が届くというか、師の言説のここが呑み込みにくいというところで的確な返しをしてくれる。

対話によれば師は武術家として「ぶっ飛んでる」「すごい特徴を持っている」そうだ。私のような者を教え子としていることも、そのぶっ飛んだ特徴のひとつにカウントされてるのかしらと思ったら、いたたまれないような、何か背負ってるような、複雑な気持ちになった。

武術家って何だろう。武術って何だろう。疑問に思わないだけで、実はよくわかっていないということが、対話を聞いてわかった。

西池袋公園

参考になるからと師に教わり、ある男性の太極拳を見学に西池袋公園に行く。大きな病院で中医学による治療に携わっておられる方だとのこと。ご本人からお話を伺ったわけではないので紹介は控えるが、都内で太極拳教室を教えておられ、ご著書もあるそうだ。

と言ってもそれは後から知ったプロフィールで、師がたまたま公園でその人を見かけ、動きにすっかり感心して時々見学させてもらうようになったらしい。私がくっついていっても快く見学を許してくださった。

印象を一言で言うと「短く切った大蛇」。地面からその人が生えているような安定感があった。

テンションが一定していて、緩急はあっても抑揚がないのは、まるでモビールのようだ。その方が去ってから、師のお手持ちの扇子を使って空気の流れをとらえて動く稽古をした。

私の套路は、自覚していなかったが、チャラい。飾り気がある。それが自覚できたのは収穫だった。異質のものを見ないと気付けないことだ。

暑い日。汗だくになってする組手は楽しい。痛いことあっても、それが楽しい。