弟子のSです

武術の稽古日誌

問いとは答えである

「およそ、この宇宙に存在するあらゆるものは、問である。同時に、答である。アシュヴィンよ、おまえもまた、この宇宙に存在するものである以上、問である。問であると同時に、答である。しかし、答であるはずのおまえが、何故、問うのか。「自分は何者であるのか」と。

それは、おまえが、自分の内部にあるはずのその答を得ていないからである」

一昨日の師のコメントにあった夢枕獏上弦の月を喰べる獅子』の中の言葉です。「問いとは、答えである」。2+3=5の数式で「2+3」という問いがすでに「5」そのものであるように。武術やってて頭の中が疑問符だらけの私ですが、その問う私が答えそのものだと言うのです。

問いが答えであるのなら、今の私にできるのは正しく問うこと・その問いの本質は何かを考えることだと思います。「何がわからないのかがわかる」ということでしょうか。

あと、正しく問えたとしても、自分の中にあるはずの答えを見えなくしている、ノイズという問題があります。砂金掘りのように「ノイズ=くだらないもの」と「砂金=価値あるもの」とを選別していかなければならない。

修行とは問いの本質の見きわめと、ノイズの除去作業を延々と続けることだと思います。

心からそう思ったので書いてみましたが、いつも言われている事のような気もします。

1年前に師から受け取ったメールが今になって理解できたりする。