弟子のSです

武術の稽古日誌

組手の作法

いろいろ考えているとやっぱ問題は「組手」に集約されていくというか・・・苦悩の核というか・・・組手の取り組み方に象徴されているんだよなぁ

私が組手をする相手はほぼ全員が格上の男性なわけだが、私と組手をして「この人はいつかケガをしそうだ」「ケガをさせてしまいそうだ」と感じられる方が少なくないと聞く。貧相な体格なのに血気にはやって乱暴だからだろうと思う。

私が格上という立場になる貴重な機会が子供空手教室での組手なのだが、これを経験すると、格上の者は相手に対し常に「ケガをさせまい」と心がけているものだとわかる。なので、組手をよい稽古とするためには格下側の意識、取り組み方がカギになる。うら若き先輩Kくん(5歳)の態度を思い起こし、華奢な彼のようにやればいいのだと今朝思った。彼は何が何でも勝ってやろうという姿勢で組手をやらない。弱気なせいではなく、落ち着いているのだ。なので前のめりになっていない。私の技とかも観察されちゃったりして、稽古になっている。

かつて闘争心をむき出しにした男の子と師の組手も見たことがあるけれど、格下側が前のめりになってする組手は息ばかり上がっていわゆる「誰得」、特に格下側にとって無益であるなぁと、Kくんとの対比で今朝思った。稽古中のケガは自己責任、とはこれを言うのだろう。

今はつらいけど、ここに踏みとどまって考えよう。武術や護身術において、闘う相手は内にある自分自身だとつくづく思う。つらいというのは、どこかやり方が間違っていることなのだから、やり方を修正することだと師は言われた。やり方を正せば、同じことがつらくなくできるようになる。

長女21歳が私のブログを読んで「堂々巡りしてるね」と言う。「でも私は自分に酔わずにまっとうに悩んでいる人が好き。だからママも好きだよ」・・・。ウチの子はときどき菩薩。