弟子のSです

武術の稽古日誌

弟子有三種類型

師にお会いするまで恩師というものを人生で持たずにきた私には、師弟とは畢竟どういう関係であるのか、弟子たる私は師にとって何なのか、そこが今ひとつわからない。

先日の座学で、弟子には三種あると師は言われた。Sさんは自分をどの弟子だと思いますか?

1 師に褒められることだけを生きがいにしている犬のような弟子。これは論外。

2 キリストの十二使徒のように、愛をもって師とつながっているが、教義は師の存命中ついに分かり得なかった弟子。

3 釈迦の十大弟子のように、教義は求めるが師に対する愛は特に持ち合わせていないという弟子。

私は2の十二使徒、特にペテロに自分をなぞらえることが多かったけれど、師の師弟観において望ましい弟子のあり方とは3だという。教義を伝達している間だけ師は求心力を持つが、伝達を終えれば弟子は矢印を逆にして師から離れていくべき存在だと。

仏教に昏い私に師は「いかだ」の喩え話を教えて下さった。大きな河を挟んで危険な岸と安全な岸があった。危険な岸を歩く人にとって、教義や師の教えは彼岸に渡るための「いかだ」である。渡り終えてしまえばもう持ち歩かなくてよくなるものだと。

教えるのはいずれ自分の許へ戻らなくさせるためだ。愛するな。教えを得たら離れろ。

私の性質はわりとクリスチャナイズされていて、情的なので、そういうクールでドライな話を聞くと「そんなあ・・寂しいこと言わないで!」と落涙を禁じ得ない(←誇張表現です)。でも師がそう仰る以上、私達はそういう師弟なのだ。愛するなと言われちゃあ仕方ない。

道を分かつ覚悟を持つ。精神的に繋がっていても心情的には独立している。集中しても熱中しない。

そうやって臨んだら一昨日いい稽古ができたというわけです。

私がんばっタオ!